日本のプロ野球界で初めてチームプレーを導入したV9時代には、当然ながら罰金制度はあった。その根本にあったのは、一死満塁での外野への犠牲フライくらいは打って当然という、かなりのレベルの高さだった。代打に出て、三塁走者を還せなければ、3000円の罰金。スクイズのサインを見逃せば、自動的に罰金5000円とか、様々な罰金制度があった。
王さんの守っている一塁にゴロが転がり、投手がベースカバーに入るケースでセーフになるとその投手は罰金を取られる。怠慢プレーと見なされるのだ。長嶋さんは併殺打を打つと、ヘルメットを押さえながら走る。常にファンの目を意識した長嶋さんらしい、あの独特なポーズにも実は罰金が科せられた。ベンチで川上さんが、査定担当のスコアラーに「全力疾走をつけておけ」と声をかける。ヘルメットに手をやりながら走るのは、全力疾走を怠っていることだから、罰金1万円也というわけだ。これには、長嶋さんに罰金を科すことで、他の選手をピリッとさせるという、川上さんなりの別の狙いもあったんだ。
ホリさん(堀内恒夫氏)が新幹線に乗り遅れて20万円の罰金を取られたこともあった。団体行動を乱すというのは重罪に値したんだよ。この時、「1人前になったら(20勝したら)返してやる」と言われ、26勝した(72年)ホリさんが、我々にごちそうしてやると言ったが実現せず。結局、20万円は返ってこなかったな。
こういろいろと罰金の話をしても、当時と今では貨幣価値が違うから、3000円、5000円などと言うと金額的にもう一つピンとこないかもしれない。が、オレの当時の年俸が120万円だったから、月にすると10万円。寮費を取られたり、罰金を給料天引きで徴収されたりすると、赤字になったこともあったからね。ONは年俸何千万円ももらっているのだから、ONの罰金1万円はオレの場合は200円くらいでないと、釣り合いが取れないなと思ったよ。
V9以降の話だが、オレは罰金を値切って成功したことがある。長嶋さんの1度目の監督時代、札幌円山球場での中日戦で乱闘騒ぎになり、正力オーナー(現名誉オーナー)から、「関本に罰金5万円」と発表された。頭にきたので、球団フロントに「罰金5万円の理由を書いた請求書と、支払った後に領収証をくれ」と要求したんだ。
「なんで罰金の請求書と領収証が必要なんだ」と言うから、「勝利を追求した結果の罰金だから、税務署から損金で取ろうと思う。だから必要なんだ」と言い張った。そうしたら、球団側も面倒くさくなったんだろうね。「罰金5万円を3万円にする」と値下げしたから、しめたと思って、間髪入れずに払ったよ。惜しかったのは、水野(雄仁氏)のケースだね。門限破りで100万円の罰金を科された。が、法律的に年収の4分の1を超える罰金徴収は違法なんだよ。ところが、水野の年俸が440万円だから、残念ながら違反にならなかった。
最後に話は脱線してしまったが、V9時代はグラウンドでのプレー上の罰金もレベルは高かったということだ。
<関本四十四氏の略歴>
1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。