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70年代『ザ・リガニーズ』の新田氏がレコード業界から撤退する理由

 70年代の人気フォークグループ、ザ・リガニーズのボーカルだった新田和長氏(67)。東芝EMIプロデューサーを経て大手レコード会社ファンハウスを設立し業務を拡大させてきたが、ここにきてその去就が話題になっている。 
 最近まで、ドリーミュージックを軸に3社の取締役だった。だが、9月3日付でいっきに辞任することがわかったのだ。

 早大在学中にザ・リガニーズを結成した新田氏。東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)からレコードデビューした縁からビートルズのディレクターであった高島弘之氏に誘われ、大学卒業後に東芝音楽工業へ入社。69年以降はオフコース、赤い鳥、RCサクセション、トワ・エ・モワ、加藤和彦、北山修、はしだのりひこらを手がけ、その後も、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、寺尾聡、稲垣潤一、加山雄三ら次々と大ヒット作品を世に送り出してきた。
 84年にファンハウスを設立し、代表取締役社長に就任してからも勢いは衰えず、舘ひろし、小林明子、岡村孝子、小田和正、永井真理子、辛島美登里ら多くのヒット作を手がけた。だが、事業拡張が裏目に出てファンハウスをBGMジャパンに売却。その後は平原綾香がいるドリーミュージックを設立したが、この会社も捨てることになった。

 いったいなにが起きたのか。
 新田氏は最近沈没しているレコード業界についてこうぼやいている。
 〈会社が昔の力もないですし、これから先やっていける力もない。だから僕は今のレコード会社は原則嫌いです。レコード会社は今後プロダクション化していかないと駄目ですね。今のレコード会社はアーティストのことが見えていないですから。昔のレコード会社はアーティスト寄りの人がいたんですよ。だからマネージメントとも組めた。でも、今は割と商社的ですよ〉(『MUSICMAN NET』より)

 平原以外は売れないため、一部では依田巽会長(72)との不仲説も流れている。さらに、新田氏はすべてに疲れたのではないか、との見方もあるのだ。
 「今後は、ひとつのレーベルで儲けるよりも音楽業界発展のための職に就くともいわれています」(音楽業界事情通)

 大物人物の出処進退の裏には、CD不況が暗い影を落としているといえそうだ。

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