まずは映画評論家の秋本鉄次氏が「女優の濡れ場」について語る。
「『濡れ場』という日本語は、実に美しい響きですよ。濡れ場は映画の華! 女優と男優がすべてをさらけ出して、それこそ本気でからむんですからね。極論を言えば、私なんか、その“本番さながら”の迫真さを味わいたくて、この半世紀、映画を見続けて来たようなものですから(笑)。思えば、1980年前後には“本番そのもの”の映画が多く作られました」
秋本氏が指摘する“本番そのもの”映画というのは、大島渚監督の『愛のコリーダ』(1976年)、あるいは武智鉄二監督の『白日夢』(’81年)などだ。松田暎子、愛染恭子らが、たとえ“本番女優”と揶揄されても、果敢にタブーに挑んでいた。日本ではボカシなどが入れられたが、海外版のオリジナルを見た人は一様に「すごい、すごい」と口を揃えていた。
「もう40年も前の話ですが、映画の世界も当時は随分大らかに性を表現していたんだなぁ、と思いますよ。その後、本番はAVなどにお株を奪われました。まぁ“本番そのもの”より、“本番さながら”のほうが女優や男優たちの“艶技力”が試される、と言えますけどね」(前出・秋本氏)
では、そんな女優、男優たちの汗だく濡れ場の成果たる“本番さながら”映画を誌上公開しよう。
1980年前後の作品は本番映画花盛りと言えるのではないか。今や、60歳すぎてもセクシーの代名詞のような風吹ジュン(66)がまだ20代の頃の代表作が『蘇える金狼』(’79年)。そこでは、松田優作を相手に全裸の激しいファックシーンが話題になった。
松田におっぱいを揉まれ、片足上げての立位やバックからガツンガツンと攻められ、喘ぎまくり。ブルンブルン揺れるおっぱいも予想以上に巨乳で観客の男たちは総勃ち状態。ぽってり唇から発せられる喘ぎ声も実にワイセツだった。SEXの最中に食事をするのもリアルと言えばリアル。
風吹と同い年の松坂慶子(66)が『青春の門』(’81年)で冒頭から夫役の菅原文太に“夫婦の営み”を挑まれるシーンも鮮烈だった。
「子供が起きるけぇ」
とやんわり拒む慶子だが、それを無視する文太に、後ろから乳房を揉みしだかれ、濃厚な愛撫、前戯を受けるうち次第に肢体は敏感に感じてくる。やがて、快楽をむさぼる荒々しい獣の営みが始まり、攻める刺青の文太、悶える白磁の肌の慶子…そのコントラストが眩しく、妖しく映える。
「この頃、監督の深作欣二と松坂慶子の恋愛関係は公然の秘密でしたからね。世の男どもは“監督ともこんな感じでスルのか?”と妄想を逞しくして、当時、人気絶頂だった松坂の寝乱れ姿と生唾ものの裸体を楽しんだものです」(ベテラン芸能記者)
映画監督と出演女優の間に、男女の蜜月関係があれば、本番濡れ場の確率も高くなる。
「深作監督は、松竹の看板女優を借りてきても遠慮ナシ。激しいシーンに躊躇する松坂に対し“このヒロインは肉体で哲学を語るんだ”と口説いて演出しました。深作監督の熱意を意気に感じたのが松坂です」(前出・秋本氏)
(明日に続く)