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茨城県坂東市が発展しなかった訳とは

 2005年に、岩井市が猿島町を合併して坂東市と名乗る前、茨城県の岩井市といえば、とかく陸の孤島と言う感があった。何しろ、岩井町を通るものといえば、東部野田線の川間駅から、三十分に一本感覚で通るバス便しかなかった。

 当時、私は頻繁に岩井市へ仕事で行くことがあった。バスに乗れないときは、よくタクシーを利用していたものである。タクシーの運転手は地元の人であるが、よく運転手から言われたことがある。
 「岩井は平将門の本拠地だったんですよ。だから、朝敵の本拠地だった訳なんです。それだから明治以降もここの土地は発展できなかったんです。見てください、鉄道もここには通っていないでしょう。鉄道が通れば、それなりに発展するのですがご覧の状況です。ここの岩井はそこまで天皇方に恨まれていたんですよ。」
 地元のタクシーの運転手がそう言うのだから、あながち嘘ではないだろう。
 何しろ、現在は陸の孤島と化しているのだから。確かに岩井は平将門が939年に反乱を起こした後に、ここ岩井に政庁を置いた。将門は岩井を本拠地として新皇を名乗り、討伐されるまでの間政治を行ったのである。
 逆に言えば、そこまで岩井の町は将門と縁が深いのである。

 岩井には現在も将門を祭る国王神社がある。将門の乱の後、972年に将門の三女である如蔵尼がここに神社を建立して、父である将門を祭り供養したという。
 坂東市が近年発展しなかった訳は、全てにおいて将門のせいではないと思うが、少なからず影響はあると私は思うのだが如何だろうか。

(藤原真 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

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