「松坂が二軍施設にある自分の荷物をまとめたのは、11月4日。チームが日本シリーズを制した当日ですよ。午前中の早い時間帯にやってきて、挨拶らしい挨拶もないまま去っていきました」(関係者の1人)
3年間での実戦登板はわずか1試合で、今季は二軍戦にすら登板していない。だが、年俸はチームトップクラスの4億円(推定)。当然、“戦力外・松坂”の去就は早くから編成部スタッフの検討事案となっていた。
「松坂獲得に熱心だった王貞治会長は一部メディアの取材で、『松坂は若手のお手本』と称しました。かといって、登板のメドも立たない選手を支配下枠に入れておけば、育成枠から選手を昇格させられないケースだって起こりうる。『いったん支配下を外れて』との案に落ち着きました」(同)
球団が松坂にこの話を持ち掛けたのは、シーズン終盤。契約最終年ということもあって、神妙な面持ちで話を聞いて返事は保留となった。この時点で、球団側は「残留してくれる」と思っていたそうだ。
「松坂は金看板ですよ。将来は日本球界のために働いてもらわなければなりません。そのとき、『ホークスの松坂』であってほしい。王会長、孫オーナーが松坂にこだわった理由はそこにあるんです」(同)
後日、ようやく松坂から返ってきた答えは「退団」。今度は球団が「待った」を掛けた。上に報告するためだ。重鎮2人は「怒りを通り越し、呆れて、声を失ったというか…」(同)。そんな表情を見せたそうだ。
「松坂は現役にこだわっています。リハビリを応援してくれたことに感謝しているなら、王会長たちの真意を理解するのが37歳のオトナというもの。『感謝している』と言ってはいたが、普通なら残留して復活を目指すし、将来はホークスのために尽くそうと思うはず。コーチ契約の真意が分からなかったのは、松坂が精神的にまだ子供だったのでしょう」(ベテラン記者)
'11年から3年間、元エースの斉藤和巳はコーチ契約して復帰を目指したが、叶わなかった。松坂もその前例に怖じ気づいたのか。
他11球団も、王会長らと同じ感想だという。王会長の「若手のお手本」発言は返事保留中に出たものだ。これはメディアを通し、「残留せよ」とのメッセージだったのかもしれない。右肩が完治してもメジャーは論外、NPBも手を出しづらい。独立リーグが限界だろう。
松坂は球界で「自分のことしか考えられないヤツ」のレッテルを貼られてしまったようだ。