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甲子園100周年 知られざる「白球史」と「暗黒史」(4)

 過去100年の間には、次世代に語り継ぐべきではない暗黒史も多くあった。

 世相が原因で「大会中止」となったのは、大正7年、第4回大会。7月25日から地方大会が行われ、14代表(当時)が決まっていたにもかかわらず無念の決定だった。原因は「米騒動」。全国的な規模に拡大していた暴動には、甲子園も敵わなかった。

 見事に優勝を果たし、地元・愛知に深紅の優勝旗を持ち帰った中京商(現・中京大中京)だったが、校長室に飾られていた優勝旗が突如紛失したのは昭和29年第36回大会後。40〜50人の刑事が動員され周囲の山狩りまで行われたが発見には至らず。しかし、捜索開始から85日目に付近の中学校の床下で発見。全国の高校野球ファンもホッと胸をなでおろした。だが、紛失の経緯など詳細はいまだに分かっていない。

 石川・星稜高校の4番打者、松井秀喜の5打席敬遠事件が起こったのは、平成4年、第74回大会。「教育」を建前とする高校野球での「勝利至上主義」に対し、全国で議論が巻き起こった。

 平成17年の第87回大会では、夏の甲子園出場を決めていた明徳義塾(高知)で上級生による1年生部員への暴力行為と集団喫煙が発覚し、出場を辞退した。代わりに、高知大会準優勝の高知高校が出場したが、準備不足が響いてか初戦(2回戦)で敗退した。

 今年も何かが起きるのか…。目の離せない大会は間もなく開幕を迎える。

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