ジャンボ鶴田のライバルにして全日本プロレス第三の男。日本で韓国系を自称した選手としては、大木金太郎と並ぶビッグネームと言えるだろう。
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「トランプ大統領と最も親しい日本人」として、写真誌に取り上げられたタイガー戸口。記事中では戸口のケータイに登録されていたトランプ個人の電話番号に、直接電話をかけたりもしていた(結局、トランプは出なかったが…)。
戸口がキム・ドクの名でWWF(現WWE)に参戦していた頃に、不動産王として名を馳せていた時代のトランプは、よくプロレス観戦に来ていたようで、たまに食事に誘われたりもしていたという。
「本人が親しいと言うのだから否定のしようもないのですが、話を聞く限りだと、2007年にはビンス・マクマホンとの抗争アングルでリングに上がったほどプロレスファンのトランプが、タニマチ的にレスラーたちを食事に招いたというぐらいだったのでしょう」(プロレスライター)
この頃の戸口はWWFの常連だったとはいえ、あくまでも主要なストーリーラインからは外れた悪役ジョバー(スター選手を盛り立てるための負け役)であり、トランプから「おまえの悪役ぶりはいい」と声をかけられたという戸口の言葉が事実ならば、現職大統領はよほどマニアックなプロレスファンということになる。
「戸口は端役とはいえ、1988年にはアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画にも出演していて、それなりに存在感はあったのでしょうが、もともとがビッグマウスで知られていただけに、すべてを信用するのもどうなのか」(同)
アメリカマットで重用されたのは、やはりその巨体と、いかにも東洋系ヒールらしいルックスによるところが大きかった。日本プロレス時代にはゴッチ教室で鍛えられ、実は高いレスリング技術を持っていたことも評価のポイントであったろう。これも戸口本人の弁ではあるが、アメリカで活動した約30年間のうちは、毎年のように高級車を買い替えていたぐらいの高収入を得ていたらしい。
確かに、そのプロレス人生を振り返ってみると、実はかなり恵まれており、常に“求められる存在”であったようである。
高校時代は柔道の猛者として鳴らし、大学からのスカウトもあったというが、もともとがプロレス好きであったことから1967年、日本プロレスに入団。戸口の父親は大相撲時代の力道山の先輩で、仲もよかったという。その縁で戸口は中学卒業時、力道山に直接プロレス入りを依頼したが、力道山からは「友人の子は預かれない」と断られ、その死後、さらに後輩である芳の里に依頼して入門がかなったという。
★ライバル鶴田と65分に及ぶ熱戦
日プロ崩壊直前の1972年に渡米すると、東洋系ヒールのキム・ドクとして主力級で活躍。1976年には日プロ時代に付き人を務めた大木金太郎の誘いで全日本プロレスに参戦し、「韓国師弟コンビ」としてジャイアント馬場&ジャンボ鶴田に挑み、インターナショナルタッグ選手権に勝利して同王座を獲得している(鶴田の暴走による王者チームの反則負け)。
その後も大木とともに全日を主戦場とし、中でも1978年に愛知県体育館で行われた鶴田とのUNヘビー級選手権、延長5分を含めた65分時間切れとなった一戦は、戸口のベストバウトともいわれる好勝負となった。それもあって大木が全日を離脱した後も単独で継続参戦し、1979年には正式に所属選手となる。なお、タイガー戸口のリングネームとなったのはこのときからである。
鶴田とのシングル全10戦は戸口の1敗9分け。その敗戦も反則負けで、まさに実力拮抗のライバル関係と言えるものであり、馬場、鶴田に次ぐ日本陣営の3番手と見なされていた。
だが、1981年には新日本プロレスへ移籍。
「本人は『引き抜きではなく全日退団後に新日からオファーがあった』と話しますが、その後、馬場が長州力率いる維新軍の一員としての戸口の全日参戦を拒絶したあたりをみると、戸口自身がどう思っていたかはともかく、馬場からすれば相当な不義理があったのでは?」(同)
新日での目立った成績は、キラー・カーンとのコンビでのMSGタッグリーグ準優勝ぐらいだが、この頃にはむしろアメリカを主戦場としており、前述のように稼いでいたという。
その後もインディー団体への参戦などを続け、昨年には70歳にしてWEWヘビー級王座を獲得している。
「インディーとはいえ、この年齢でシングルで戦えること自体が異例のこと。他のレジェンドたちは休みながらのタッグマッチがせいぜいですからね」(同)
そうしてみるとやっぱり、そのビッグマウスに相当するだけのすごいレスラーなのかもしれない。
タイガー戸口
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PROFILE●1948年2月7日生まれ、東京都葛飾区出身。身長193㎝、体重125㎏。
得意技/ショルダー・バスター、ツームストーン・パイルドライバー、キウイ・ロール
_文・脇本深八(元スポーツ紙記者)