田中角栄の愛人にして秘書、長く「二人三脚」で政治行動をともにしてきた佐藤昭子は、筆者のインタビューに対し、こう答えてくれたことがある。
池田勇人政権で自民党政調会長と大蔵大臣ポストを踏んだ田中にとって、天下取りへの残った必須ポストは、幹事長として党を掌握することであった。昭和40(1965)年6月、池田政権の後継となった佐藤栄作は、第1次内閣の改造とともに党人事にも手を付け、田中を幹事長ポストに就けたのだった。
田中、時に47歳。のちに田中の異名ともされた「コンピューター付きブルドーザー」は、この幹事長時代に定着したものであった。
ちなみに、幹事長への就任が決まった直後の朝日新聞(昭和40年6月2日付)は、田中の「横顔」を次のように評していた。
「佐藤首相が『私の片腕』と呼び、幹事長は総裁派閥からということであれば、当然の人事ではあろう。軽量執行部と呼ばれた政調会長から3年を経て、今日、重量とは言わないまでも、もはや軽量と評する者はいない。一方、決断の早さ、読みの深さ、政財界への顔の広さの三つに裏打ちされた、実行力への評価もある。
ただ、時に行動力がたたっての、勇み足の心配がないではない。若いときから鼻下にヒゲ、浪花節をうなり、将棋を指し、しかしゴルフはダメと新旧両面が同居で、奇妙な魅力を醸し出す。いつも陽の当たる場にいるので、佐藤派の中でも風当たりがやや強くなっているが、ちょっとやそっとではへこたれぬ芯の強さも持つ」
さて、佐藤首相が田中に託したのは、日本と韓国の国交正常化に向けて、日韓基本条約調印への国会における承認と、条約としての批准であった。佐藤は、それまで途絶していた韓国との国交正常化と沖縄の施政権返還の二つを、戦後未処理の懸案として最重視していたのである。
「沖縄返還」を実現させるためには、まずは韓国との国交を正常化し、政権の勢いに弾みをつけることが不可欠という考えであった。天下取りが視野に入ってきている田中としては、佐藤の信頼をより得るために、なんとしても突破しなければならない「日韓国会」であった。
しかし、この「日韓国会」は大荒れで、とりわけ野党の社会、共産両党が反対で徹底抗戦、結果的には二つの臨時国会を開いてようやく条約批准の可決、成立を果たした。成立へ向けては田中も必死で、単独採決の裏では反対野党の切り崩しにも暗躍するなど、かなり強引な手法も駆使していた。こうした混乱を極めた国会は、衆院の正・副議長が引責辞任という形で、なんとか収拾を見た。
★「佐藤政権の泥はワシがかぶる」
一方で、懸案の「日韓国会」をかろうじて乗り切った佐藤首相は、改めて田中のらつ腕ぶりを買い、翌年8月の改造人事で田中の幹事長留任を決めた。しかし、この2期目の幹事長は、わずか4カ月の短命に終わることになった。閣僚および自民党議員らに相次いで不祥事が発覚するという「黒い霧事件」が勃発し、この責任を取らされることになったからである。
まず最初は、田中彰治という自民党衆院議員が、国際興業の社主・小佐野賢治から1億円を恐喝し、詐欺窃盗なども含めて逮捕され、議員辞職を余儀なくされた。
また、荒船清十郎運輸相が「一つぐれぇいいじゃないか」の“迷文句”で、国鉄ダイヤ改正で高崎線の急行列車を自分の選挙区内の埼玉県深谷駅に停車させるべく、ダイヤ原案を改めさせたことも発覚した。
さらに松野頼三農相が、新婚の娘夫妻らと一緒に外国を“官費旅行”していたこと、あるいは共和製糖グループの政治家絡みの不正融資事件なども明るみに出て、政府と自民党に対する国民の信頼感は、大きく失墜したのだった。
その後の臨時国会は、野党が硬化して審議拒否、佐藤政権としてはここを切り抜けるには衆院の解散という手もあったが、総選挙となれば敗北濃厚である。佐藤首相の選択肢は野党の矛先をかわす残された道としての、大幅な改造人事の断行しかなかった。
結果、“詰め腹”を切らされた格好だったのが、川島正次郎副総裁と田中幹事長であった。幹事長更迭が決まった直後、田中に近い議員からは「直接関係がないことなのに、なぜ幹事長が責任を取らされるのか」と憤りの声が出た。それに対して、田中はこう呟くように言ったという。
「いいんだ。佐藤政権の泥はワシが全部かぶる」
「沖縄返還」を成就し、佐藤政権をまっとうさせることが自らの天下取りにつながると、田中は佐藤を支え続けてきた。しかし、一方でジワリ、やはり「ポスト佐藤」を視野に入れた福田赳夫が、佐藤に接近していると取り沙汰されるようになってきた。
佐藤は田中が幹事長のときに福田を大蔵大臣に就け、田中が幹事長を更迭されると、その後釜に福田を持ってきている。佐藤は自らの後継に、いったい誰を描いているのか。チラッと、佐藤への不信感もかすめる田中であった。
(本文中敬称略/この項つづく)
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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。