ゆえに長く活動できる企業は優秀な経営職を絶えず育成し、常に適切な役職に引き上げていく人事システムが構築されている。だが、戦後から数えて、三十年周期のローテーションが二回繰り返された事もあってか、わが国の大部分の企業が”馬鹿経営職”を抱える結果となっている。大王製紙の阿呆ボン、オリンパスの経営職たちなど、社会的な問題を引き起こした経営者は枚挙に暇が無い。
では、何故企業に“馬鹿経営職”という膿がたまるのか考えてみたい。それは、経営職という立場にいながら、己の部下を“個人の好き嫌い”や“自分へのへつらい度数”で評価する馬鹿者がいるからである。
趣味や遊びにおける友人関係ではないのだ。仕事における人間の評価に、評価する側の個人的な感情が入ってはいけない。あくまでドラスティックに、企業という運動体を延命維持し、或いは拡大できる人材を的確に判断しなければならない。
残念ながら、それが出来ない“馬鹿経営職”が運だけで上にあがってしまうことがある。となると癌細胞で一緒で企業の肉体をどんどん蝕んでいく。最もたちが悪いのは、この手の“馬鹿経営者”は、部下の中から自分と同程度の馬鹿を引き上げていく。つまり、馬鹿が馬鹿を引き上げる負のスパイラルが繰り返され、経営職における“馬鹿占拠率”があがっていき、企業風土は荒れていく。
我々日本人は、他人を明確に評価しない。あの人のこの部分は良いが、この部分は問題であるなどと、はっきり言うことはない。逆に他人から、はっきりとした評価を言われた事もないし、稀に帰国子女などに客観的で的確な評価をされた場合、正論だと思いながらも戸惑ってしまう。
つまり、我々日本人は、企業体という組織に成り代わって、部下たちを客観的に評価することは本質的に苦手なのだ。苦手ならば、簡単である。評価は第三者に実施させればよいのだ。人事査定を行うセクションは他社(事実そういうビジネスはある)にまかせればよい。人間を正当に評価することは、いまや技術なのだ。ならば、専門職に対応させ、十年ほど放置してみることだ。社内の“馬鹿経営職”が軒並み駆逐され、組織が蘇生するはずである。
TPPに加盟するのは良いが、その前にわが国に巣食う“欧米では評価されるはずの無い馬鹿経営職たち”を一掃せねば、国際的な競争に勝てるわけがない。本当に世界と互角にやれる戦闘集団としたければ、馬鹿が馬鹿を引き上げる負のスパイラルを断ち切り、人材という“本当の宝”を的確に育成できる評価システムを構築すべきである。(山口敏太郎)