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本誌連載担当編集者が語る 立川談志の“豪放磊落人生”

 「豪放磊落」「頑固一徹」「破天荒」−−11月21日に喉頭ガンで亡くなった立川流の家元・立川談志師匠(享年75歳)は、まさにそうした形容詞を掛け合わせたような落語家だった。

 談志師匠との付き合いは、約20年前にさかのぼる。'92年6月から1年間の約束で『立川談志の正しい対談』と題した対談ページをスタートさせた。ところが、この連載がスリルと冷や汗の連続だったのである。
 タレントや作家、果ては美少女レスラーやヤクザの親分と毎週対談を組んだが、2回目の対談時に早くもその“事件”は起きた。

 当日の対談相手は、『火垂るの墓』の作者で知られる作家の野坂昭如氏。だが、それこそ待てど暮らせど、対談会場にホスト役の師匠が現れないのである。
 これには、さすがの編集部員らも肝を冷やした。30分、そして1時間…この頃から野坂氏のコメカミには青筋が浮き出し、2時間を過ぎる頃にやっと担当者と連絡が取れると、「歯痛で行けない!」という有り得ない返事が。その後、これを知った野坂氏が激怒したのは言うまでもない。
 もっともこの騒動にはさらに後日談がある。翌日、談志師匠は休むことなく高座に上がり、流暢に噺を披露。楽屋に引っ込むと、汗だくの着流しを脱いでパンツ一丁になりながら「よう、昨日は悪かったな!」と無邪気な笑顔を向けたほどなのである。

 また、当時人気を博した美少女レスラーとの対談後には、こんな一幕もあった。
 連載中は東京・根津の自宅に原稿を届け、翌日チェックを受けて入稿するのが常だったが、原稿をもらいに行くと「お前に2つ伝えることがある」とカラッとした笑顔で声を掛けられた。
 「まず、一つは、ほれ原稿」。次に飛んできたのは、「あ、それと連載辞めるから!」。こうした周りの人間の血が、サーッ引くような毒の利いたシャレは日常茶飯事で、その後連載は3度も打ち切りの危機を迎えたのである。

 ただし、一方では情に厚く一本気な人だった。お気に入りのハイボールを飲んで酔っ払うと、よくこんな話を聞かされたものだ。
 「なぁ、世の中で一番リアルなものが何だかわかるか? 人間臭いものが一番本物!」「だから落語は世の中に必要だし、俺の対談は『正しい対談』なんだ」

 酒を愛し、人間の抱える矛盾を噺と人生で体現しようとした希代の落語家。それゆえに、立川談志の胸中には、無邪気さと破天荒さが共存していたのである。

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