「太鼓、三味線の音が鳴り出せば、三木は呼びもしないのに飛んでくる。年増芸者ながら尻まで裾をはしょって舞台に上がり、客の前で踊ってみせる。しぶとい。しかし、『芸』があるからアレは生き残る」
幾多の権力抗争を制し、ついには天下を取った“炯眼”田中角栄ならではの三木武夫評である。その意味では、田中の真の権力闘争の相手は「角福戦争」を繰り広げた福田赳夫ではなく、じつは田中を「金権体質」と糾弾し続けた「クリーン三木」を標榜する三木武夫であった。また、その三木の“仮面”との戦いが、田中最後の権力闘争とも言えたのである。
田中はのちに竹下登の田中派分裂の“造反”に遭い、その攻防戦に身を削ったが、これはロッキード事件を引きずっていたゆえの、水は低きに流れるの謂い、時の流れでもあり、真の権力闘争とは言い難かったのだ。
三木と田中の政治、人生に対する「見方」の決定的違いは、その生い立ちにさかのぼる。田中が貧窮の幼少期から這い上がったのに対し、三木は自らの著で子供の頃から「甘やかされて育った」と記したように、世俗の苦労とは無縁であった。三木の生い立ちを記してみると後年の「三木像」がうなづけるのである。
三木は徳島県の香川県との県境近くの村で、明治40(1907)年、農業と肥料を営む裕福な家で一人っ子として生まれた。小学生時代から「自分は将来、総理大臣になる」と“宣言”し、家の前に積まれた米俵の上に立っては、身ぶり手ぶりを交えて演説のマネをしていたくらいだった。
もとより小学校での「話し方大会」でも活躍、県立徳島商業学校に進学すると、迷わず弁論部に入っている。また、この徳島商業では、野球部の集めた資金を校長以下が宴会など遊興費に流用したことに怒り、弾劾ストライキの先頭に立ち、校長もクビになったが、三木も放校、神戸の中外商業への転校を余儀なくされている。中外商業卒業後は明治大学専門部商学科に入学、ここでも弁論部で活躍している。
卒業後は改めて法学科に再入学、アメリカ、ヨーロッパに遊学したあと、昭和12年3月にようやく30歳で明大を卒業したのだった。この遊学には、生家が当時のカネで5000円を手渡した。“あんみつ”一杯が10銭の当時からすると、今ならゆうに数百万円に相当したのだから、なるほど一人息子ゆえ両親の寵愛を一身に受けて「甘やかされて育った」ことになる。
この頃の時代背景は、政党内閣制が崩壊、満州事変や「二・二六事件」を経て軍部が台頭し、政治への支配力を強めていたが、一方でこれに対抗するデモクラシー復活気運の高まりもあった。折りから、時の林銑十郎内閣が昭和12年3月、議会を解散、三木は待ってましたと言うように、就職することなくこの選挙に無所属で出馬、当選を果たしたのであった。学生服姿での立候補で、30歳当選は最年少、新聞は東京―ロンドン間を飛び、平均時速で世界記録を達成した「神風号」になぞらえ、「神風候補」とはやし立てたものだった。
また、この選挙中に三木は既成政党に向かって「金権体質」などと厳しく批判、政党活動の浄化を叫んでいた。
当選後は日中戦争さなかに次第に高まる日米開戦論に対抗し、日米協調の運動を繰り広げた。ために、昭和16年12月開戦の太平洋戦争中に東條英機内閣が行った「翼賛選挙」では、政府から推薦を外されるなど様々な妨害に遭ったものの、これをはねのけ、落選をすることがなかったのだった。
★「バルカン政治家」の誕生
戦前の三木は、就職経験がなく、実社会を知らずで、まさに怖いものなしの「反骨政治家」を見せつけた。田中はと言えば、地べたを這う苦節の末、自らの建築事務所を開設したのを手始めに『田中土建工業』を設立、昭和17年には年間施工実績全国50位以内にランクインされるなど事業家としての道をひた走っていたのだった。そして、昭和20年の終戦を機に、田中は衆院議員に当選(昭和22年)して政界入り、「政治家三木」と対峙することになる。
田中は民主党、民主自由党と大政党に所属、時の首相・吉田茂の門下に入り、若くして政治家としての頭角を現わしていく。一方の三木は吉田に組せず、一貫して左右の「中道路線」を歩み、協同民主党結成のあと、国民協同党では少数党ながら一党の党首となり、社会党の片山哲と連立内閣を組んで逓信大臣に就任した。その後も、国民民主党、改進党、日本民主党と所属政党の再編を繰り広げながら「第3勢力」の有力者の地位を定着させていった。
その間、吉田政権打倒が常に旗印で、ついには鳩山一郎内閣の成立に協力、ここで運輸大臣として2度目の入閣を果たすのだった。
常に少数政党を率い、埋没することなく生き残る三木に対して、「バルカン政治家」との名前が出たのはこの頃からである。一貫して「議会の子」として政界遊よくを繰り返す三木に対して、田中は戦後復興に資するための鉄道、道路、住宅など、次々と議員立法を成立させていく。やがて、三木は田中の「金権体質」を批判。両者が激突する日がやってくることになる。
(文中敬称略/この項つづく)
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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。