前東京都知事の舛添要一氏(70)は、国際政治学者として名前を売っていた90年代の後半、馬主としてもかなりのものだった。
南関東の3歳ナンバーワンを決める東京ダービーを、’97、’98年と2年連続して獲得しているのだ。
’97年にサプライズパワーで勝ったときには、東京プリンスホテルで大々的に祝賀パーティーを開催している。その頃は、大井競馬場のプラネットルーム(招待客が集まる部屋)によく姿を見せて、ニコニコ顔で来客と競馬談義をしていたものだ。
当時はテレビの顔でもあったから、それはもう大変なモテよう。ところが、1999年の都知事選に出馬するにあたって、すべての馬を手放してしまった。競馬をする人=ギャンブラーとしてとらえられ、婦人票を失うことを恐れたようだ。
しかし、その甲斐なく選挙では3位で落選。競馬仲間から「舛添さん、いい顔しようとすると、ろくなことないね」と、からかわれていた。
(明日に続く)