「よく、ここまで書いたと拍手を送りたい。人間、だれでも裏表がある。人間観察がしっかりしていて、きれいごとになっていないのがいい。言ってみれば、野球界に席を置く人間が言いたいことを書いてくれている」
そう喜ぶのは、球界OB。第2弾が待ち遠しいと言わんばかりだ。
1993年、阪神から戦力外通告された岡田氏を翌年、チームに迎え入れたのがオリックスの仰木監督。現役選手で2年、その後は2軍監督を任された。
<『やるからには完全燃焼しろ』との言葉をもらい、指導者の道を開いてもらった><イチローの例がよく出されるが、仰木さんは…まず選手の才能の行方を“見る”ことに重点を置いて長所を生かした><仰木さんと接した4年間は大きな財産である>
98年に阪神の2軍監督として復帰。そのとき1軍監督に就任したのが、野村監督だった。ヤクルト監督からの横滑りに、岡田氏は驚いたと正直に書いている。そして、その指導には疑問があったことを振り返る。
<自らの野球理論と人生訓のようなものを一冊にまとめた『野村の考え』という資料を全員に配った。率直に言わせてもらうなら…すべてがキャッチャーの目線、バッテリーの目線から記されているものだと思った><野球はやはり多角的に見る必要がある、というのが自分の考えだからである>
そう言いながら、交流戦の試合のとき、敵将同士としての会話では、岡田氏もなかなかのタヌキぶりを発揮している。大先輩監督に物怖じするふうはないのだ。
野村監督に続く外様だった星野監督は、生え抜きの岡田氏に想像以上に気を使っていたことが明かされる。
コーチミーティングで、ほかのコーチは怒鳴られていたが…。
<「思い切っていけ。好きに判断してやれ」と言われることがあっても、ミスを責められることはない…阪神生え抜きのスタッフが自分だけ、というバックボーンがあったかもしれない。星野さんが気を使ってくれたのか>
早くから、次の監督は岡田氏と伝えられる。意外にも、星野氏との関係は悪くなかったようなのだ。
対照的にばっさり切っているのが、巨人原監督と落合中日監督。
<投手、打撃部門のタイトルホルダーをごっそりカネで買い漁ったチーム戦力。それこそ、ベンチは何もやることがないチームではないか。私は、そういうチームの指揮は執りたくない><2軍監督を経験することなく原は再び巨人の監督になった。だからだろうか。敵のベンチにいて原監督に怖さはなかった。これは、落合監督についても言えることだ>
オリックスと阪神で務めた2軍監督が、貴重な経験になり、それで自信が生まれたから批判できるのだろう。
「岡田は充電期間が過ぎれば、必ず阪神監督で戻る。人材の育成法は分かっているし、苦労しているだけに人間もできてる。そうでなければ、他球団がほっとかないよ」(前出・OB)
もう1度、あのユニホーム姿を見たいのは阪神ファンだけではなさそうだ。