同作のベースとなる『ロミオとジュリエット』は、ウィリアム・シェイクスピア不朽の名作として知られる。「もし、悲恋のロミオとジュリエットが、本当は生きていたとしたら?」とした作品は、“2人のロミオ”と“2人のジュリエット”が登場。要は、広く知られているロミオとジュリエットと、“その後のロミオとジュリエット”の合作である。
また、“4人のロミジュリ”を演じるのは広瀬、松たか子、上川隆也、志尊淳。ほか、第一線で活躍する豪華俳優陣が名を連ねる。
その中で松というと、二代目松本白鸚(当時は六代目市川染五郎)と藤間紀子の末子として梨園に生まれる。女性であるがゆえに歌舞伎役者になれない“梨園の娘”である松は1993年、当時16歳で歌舞伎座の『人情噺文七元結』で初舞台を踏んだベテランである。
94年には、大河ドラマ『花の乱』(NHK)に初出演。95年にはドラマ『藏』(同)で主演に抜擢され、以降は女優としてのキャリアを重ねていった。松の優れた演技力とブランド力により、96年の『ロングバケーション』、97年の『ラブジェネレーション』、そして01年の『HERO』と、フジテレビ系列の月9ドラマに続々と出演。いずれも俳優・木村拓哉と共演し、軒並み30%前後の高視聴率を記録した。
1996年には、史上最年少の19歳で『NHK紅白歌合戦』の紅組司会に抜擢。97年には歌手としてデビューを果たし、同年の同番組には歌手として出場。松の快進撃はとどまることを知らなかった。
私生活では、2007年12月にミュージシャン・佐橋佳幸と結婚。15年3月に長女を出産し、1児の子育てと仕事を両立している。
そんな松同様、“梨園の娘”として肩を並べるのが女優の寺島しのぶ。幼少期から何かと比較されがちな2人だったが、同じ夢を追う同志のような間柄であった。だが、あることをきっかけに修復が困難を極めるほどの“犬猿の仲”となってしまったようだ。
発端は、2003年の寺島の自著『体内時計』(主婦と生活社)の中で、松の兄で歌舞伎役者・市川染五郎との失恋をブチまけたことである。
「30歳になったら結婚の約束をしていたという市川と寺島。周囲もほどなく結婚すると思った矢先に、突如市川が別の女性と婚約発表をしたのだ。寺島にとっては“寝耳に水”だったようだ。当時、市川は寺島を捨てたと“ならず者”扱いされ、兄思いで知られる松は複雑な心境だったという。だが、怒りが収まらない寺島は、市川の結婚披露宴に合わせるかのように、交際を赤裸々につづった手記まで発表し、ドロ沼と化したようだ」(芸能関係者)
その後、寺島は2007年にフランス人男性と結婚したが、“お家”が絡んだ微妙な関係は相変わらずだったという。さらに、14年5月に行われた寺島の弟・尾上菊之助と、人間国宝・中村吉右衛門の四女の結婚披露宴に、吉右衛門の姪に当たる松が欠席したようだ。
「仕事を理由に欠席したという松。この一件で寺島との不仲を証明する形となってしまったようだ。身内の祝い事を放棄するとなると、今後両者が共演することは考えられないでしょう」(ドラマ関係者)
寺島にとって、松は幼い頃から常に比較され続け、宿敵だったともいう。
「昔から美少女だった松に比べて寺島は容姿にコンプレックスを持っていたようだ。互いに女優の道に進んでからも、注目され続けたのは松だった。舞台で経験を積み重ねた寺島は、演技力では松より勝っていると自信を持っていたようだ。同じ“梨園の娘”でありながら、こうも差をつけられる自分を悔やみ、抱いた嫉妬をバネに執念でのし上がったとも言えるだろう」(芸能ライター)
今でこそ、トップ女優に上りつめた両者。寺島が抱く松への嫉妬心は強いと言われているが、お互い母となり、いつしか“角”が取れる日を待ちたいものだ。