当時の松本は今以上にトガッており、あらゆるものに毒づいていた。
「一般人の盗撮被害もさることながら、テレビ局のスタッフにも毒づいていました。特に編集において、まったく違う場面で自分が笑っている場面を挿入され、『自分のセンスが疑われる』と週刊誌のコラムで言及していましたね。この連載は『遺書』『松本』(ともに朝日新聞社)にまとめられ、ベストセラーとなります。現在のようにブログなどで気軽な情報発信ができないため、松本の本音がうかがえる貴重な文章でした。自らを笑いの天才と言ってはばからない姿勢は時に批判を受けることもありましたが、熱狂的なファンも獲得しました」(放送作家) さらに、厳しい視線は同業者にも向けられていた。
「当時、アメリカで人気のあった日本人女性のスタンダップコメディアンのTAMAYOが、逆輸入される形で日本進出を果たしました。しかし、芸としてはまったくウケず、真っ先に『つまらない』と批判したのが松本でした。松本はのちに『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)において、自作のコメディ映像を持ちアメリカ人を笑わせに行く企画を手がけていますが、もしかしたらきっかけはTAMAYOだったかもしれませんね」(前出・同)
現在では結婚し子どもを持ち、良きパパとなっている松本であるが、かつては誰もが恐れる存在であったのは確かであろう。今後も「血だらけフィルム」級のエピソードが開陳されそうだ。