レイザーラモンRGは、相方・HGのブレークで本名から現在の芸名に変更。当時は、ポンコツ芸人として、数々の先輩のエピソードトークで名前が出る程度だったのだが、転機が訪れる。HGの結婚式で挨拶をする際、こわばった表情をした彼に、ケンドーコバヤシが「市川海老蔵か!」とツッコミを入れたのだ。RGは、それをヒントに衣装を発注。「市川AB蔵」を完成させた。その後、どのようにキャラを成長させていくのか悩んでいたところ、ケンコバ、宮川大輔と飲むことに。「手羽先あるあるなんてないやろ?」と無茶ブリを受け、歌に乗せてあるあるを歌い上げた。この日は一晩中あるあるを歌い続け、先輩は笑い続けた。彼が得意とする「あるある」が生まれた瞬間だった。
千鳥・ノブの恩人とも呼べる芸人が「Wボケ」で定評のある笑い飯。若手だった頃から世話になっている先輩なのだが、とにかく哲夫と西田がプライベートからボケまくったのだ。岡山県出身でツッコミの文化がなかったノブは2人に食らいついた。彼らのボケの応酬にツッコミを入れ続けたことで、今の彼がいるのは間違いない。
今やバラエティーのひな壇で欠かせない芸人アンタッチャブル・山崎弘也。彼は、もともとダウンタウン・松本人志に憧れており、寡黙なボケタイプだったという。山崎は若手の頃『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)で共演していたくりぃむしちゅー・有田哲平やX-GUN・さがね正裕らとつるんでいたのだが、彼らと遊ぶと、必ずボケの無茶ブリが飛んできたのだとか。山崎は凹みながらもどんどん返すようになり、今のお笑いサイボーグへと独自の変化を遂げたのだ。
このように、先輩のフリに対してボケやツッコミを返し続け、覚醒した芸人がいる。今の時代、パワハラとして受け止められることもあるかもしれないが、芸人が一皮むけるためには、先輩の「お笑いしごき」も必要なのかもしれない。