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33年地中で暮らした人

 西暦79年、ベスビオ火山の大噴火により、一日足らずで埋没したポンペイが、18世紀半ば当時のままの姿で発掘された史実は、広く知られている。そこで思うのだが、噴火の際、例えば頑丈な食料庫等に生存者はいなかったのだろうか? 閉鎖された闇の中で、数日、否、数年もの間孤独と闘いながら行き続ける。そんな怖ろしいことが、現実に起きていた。それは日本でのことである。

 1783年、大噴火した浅間山は、上空1万メートルにまで噴煙を上げ、溶岩流は幾つもの村を呑み込み、1200人の命を奪った。溶岩流が流れ込んだ吾妻川の岸辺は、凄まじい数の死体と、家屋の残骸で埋めつくされていった。
 時は過ぎ、悲劇は過去のことになろうとしていたある夏の日、火口に近く溶岩流に覆い尽くされた鎌原村でのこと。
 一人の村人が井戸を掘っていた。ところが、出てきたのは水ではなく瓦。更に掘り広げると、屋根が現れた。家が一軒埋まっていると悟った村人は、屋根に穴を開けて中を覗き込んだ。驚いたことに、ポッカリ空いた空間の奥底で、二人の老人が眩しそうにこちらを見上げていた。助け出された老人達の話によると、大噴火の際、一家六人で倉庫に避難した。命は助かったものの、地中深く埋められてしまい、脱出不可能となってしまった。しかし、そこは倉庫。米は三千俵、酒は三千樽あり、それらを食い繋いできた。残念ながら、長い歳月が一家を二人に減らしてしまったが、こうして生きながらえた二人の老人は、地上への生還を果たした。
 浅間山大噴火から、三十三年後のことである。

(注)江戸時代の狂歌師・大田蜀山人(おおた・しょくさんじん)の記録による

七海かりん(山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/

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