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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「山本小鉄」“人間爆弾”の知られざる名勝負

 新日本プロレス道場のコーチ役として若手を徹底的にしごき抜き、あの前田日明が恐れ、藤原喜明は「殺そう」とまで憎んだとの逸話で知られる山本小鉄。
 審判部長、テレビ解説としてのイメージが強いものの、レスラーとしても味のある好勝負を残している。

※ ※ ※

「新日本プロレスのストロングスタイルとは山本小鉄のことである」との言説がある。

 なるほど、新日の大看板がアントニオ猪木であることに違いはないが、同団体におけるストロングスタイルの原点は、小鉄が監督、指導した上野毛道場にあり、その概念をテレビ解説席からアピールし続けたのも、やはり小鉄であった。

 1980年4月、40歳手前での早い引退とテレビ解説への就任は、猪木の「レスラー視点での解説をしてほしい」との願いによるものだった。また、新日のシンボルであるライオンマークや、猪木の掲げた“キング・オブ・スポーツ”のキャッチフレーズも小鉄が考案しており、初期新日の参謀的存在だったと言えるだろう。

 審判部長兼テレビ解説としてテレビ露出が増えたことで、当時の小鉄が最もなじみ深いというファンは多いだろう。実際に、道場での鬼軍曹としての姿や生真面目な性格など、選手としてよりリング外でのエピソードが豊富である。

 では、プロレスラーとしての山本小鉄は、どんな選手であったのか? 以下に“小鉄ベストバウト”を挙げてみよう。

●1969年4月/vsゴリラ・モンスーン
 日本プロレスの第11回ワールドリーグ戦における看板外国人の1人で、WWWF(現WWE)ではブルーノ・サンマルチノとも好勝負を繰り広げていた巨漢レスラーを相手に、小鉄が大金星。モンスーンのボディプレスをかわしたところに、逆襲のボディプレスでフォール勝ちを収めた。なお、同大会では猪木が悲願の初優勝を飾っている。

●1973年5月/vsスティーヴ・リッカード
 この試合を観戦していた謎の外国人が、突如、私服姿のままリングに乱入して小鉄をKO。これこそ“狂虎”タイガー・ジェット・シンの日本初登場の瞬間であった。

★暴走する猪木に怒りの鉄拳制裁
●1978年8月/vs前田日明
 前田のデビュー戦。先輩連中が「何をしでかすか分からない」と対戦を嫌がる中、「だったら俺がやってやる」と小鉄が相手を買って出た。5分42秒、腕固めで小鉄の勝利。前田によると、試合前の小鉄は愛弟子との試合にベストコンディションで臨むため、2時間にわたり入念なスクワットをしていたという。

●1979年2月/vsマイティ井上&アニマル浜口
 星野勘太郎とのヤマハ・ブラザーズで国際プロレスに参戦した小鉄は、グレート草津&アニマル浜口組からIWA世界タッグ王座を奪取。新たに井上&浜口を挑戦者に迎えた防衛戦は、1本目に小鉄が足4の字固めで井上を下すと、2本目は井上がサマーソルト・ドロップで小鉄を押さえる。
 小鉄のグラウンドでのねちっこい攻めと星野のスピーディーな動きに翻弄された国際軍は、3本目はヤマハの合体クローズラインで浜口が3カウントを奪われたかに見えたが、国際側の執拗な抗議によってフォールは無効となった。
 すると、この裁定に激高した小鉄が、レフェリーに暴行を加えて反則負け。ルールによりタイトルは移動せず、後日、同チームに敗れて王座を手放している。

●1979年8月/夢のオールスター戦バトルロイヤル
 当時は全日本プロレス所属だった大仁田厚を、カナディアン・バックブリーカーに捉えて優勝。ハル園田、渕正信を含めた全日の若手三羽烏をいずれも下して、新日の威信を見せつけた。

●1987年3月/vsアントニオ猪木(番外編)
 INOKI闘魂LIVEのメインイベントは猪木vsマサ斎藤だったが、海賊男の乱入&斎藤に手錠をかけるという意味不明の結末に。その後、怒りの収まらない猪木が審判部長の小鉄を呼びつけると、小鉄も憤怒の形相でリングに上がって猪木にパンチを見舞った。
 観客の怒号が飛び交い大荒れとなった会場を鎮めるため、猪木のアドリブに応じた番外編であったが、猪木vs小鉄もやはり意味不明で結局は暴動騒ぎとなった。

●2008年12月/vsザ・グレート・カブキ&グレート小鹿
 昭和プロレス第2弾興行。小鉄の引退後もヤマハ・ブラザーズは1992年、1994年と特別試合を行っており、14年ぶり3度目のタッグを結成。個人では2003年、東京ドーム大会のOBバトルロイヤル(星野と優勝を分け合った)以来5年ぶりの試合で、これがラストマッチとなった。
 しっかりシェイプされた体で10分を戦い抜いた小鉄は、「ようやく試合勘が戻ってきたところだったのに、何もできなかった」と残念そうに振り返っている。また、その後は同興行で、西口プロレスの芸人たちを含めたバトルロイヤルが組まれていたことに、苦言を呈するのも忘れなかった。

山本小鉄
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PROFILE●1941年10月30日〜2010年8月28日、神奈川県横浜市出身。
身長170㎝、体重100㎏。得意技/ダイビング・ボディプレス。

_文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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