エンゼルス入りを予想する声は、全く聞かれなかった。日本ハム内にも「まさか!?」の声も出たほどで、その大方の予想を裏切る大仕事をやったのけた立役者、ビリー・エプラーGMにも注目が集まっていた。
「(大谷の代理人の)ネズ・バレロ氏から入団を伝える電話を受けたとき、椅子から転げ落ちた」
エプラーGMの第一声である。当人がいちばん驚いたくらいだから、やはり、エンゼルス入りは「大穴中の大穴」だったわけだ。しかし、米メディアは「勝因はエプラーGM」と見ている。
「ひと言で言えば、マジメな人。コツコツと仕事を積み上げ、それが評価され、エンゼルスでようやくゼネラルマネージャーに迎えられました。GMは大物選手を獲得するのと同時に有名人にもなりうる職種であり、米野球界で一旗揚げてやろうとする輩も少なくありません。でも、エプラーGMはずっとサポート役だったので…」(米国人ライター)
詳しいプロフィールは公開されていないが、大学時代まではプレーヤーだったようだ。「元会計士」とのことで、2000年、コロラド・ロッキーズのスカウト部門に「空き」が出たことを知り、その門戸を叩いた。パドレス、ダイヤモンドバックス、ヤンキースにも在籍していたが、日本人メディアにその名が伝えられたのは2014年、ヤンキースがポスティングシステムで田中将大を獲得した際、GMに代わって来日を重ねていた球団要人として、名前が報じられた。
「この時点で、ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMが信頼する部下と位置づけられていました。チームを代表するスカウトのサポートをしながら、メジャー球団について学んだようです。ヤンキースに在籍した松井秀喜、井川慶とも面識があるはず」(前出・米国人ライター)
エプラー氏がエンゼルスのGM職に迎えられるようになったのは、分析力に長けていたからだった。松井、井川とは、単に会話をしたのではなく、「日本人選手が異国で野球をするために必要なものは何か、彼らはどんな不安を抱いていたのか、どういう環境を提供すれば本領を発揮してくれるのか」を考えていた。それが田中獲得に生かされ、今回の大谷獲得の勝因となったわけだ。
「大谷サイドは交渉相手を7球団に絞った時点で、必ず質問していたのが二刀流のことです。投手と野手、どうやって使い分けていくのか、と」(NPB関係者)
エプラーGMは「投手と野手、両方で使わざるを得ない」と伝えたという。まず、エンゼルスはリーグを代表するような好投手がいない。そのため、通常のチームのように「先発投手5人を中4日でまわす」というローテーションのなかに大谷を組み込むのではなく、「ウチは大谷を加えて6人でまわす。6番目の先発投手と大谷を併用して」と『投手起用』について説明し、『打者起用』に関しては、「ウチにはMVPを2度獲得したトラウト、ホームランバッターのプホルスなどがいるが、みんな右バッターだ。左バッターの大谷を欲している」と説明したそうだ。
「大谷サイドが求めていたのは、二刀流としての需要です。エプラーGMは自分のチームの弱みをはっきり説明し、それを補うための大谷獲得であることを伝えました」(前出・同)
大谷の代理人であるネズ・バレロ氏は「話ができすぎている」と思ったという。一般論として、名うてのGMはそのメンツから交渉の席で大風呂敷を広げることもある。しかし、無名のエプラーGMにはその必要がない。
「田中のヤンキース入団の会見で、エプラー氏は記念撮影には加わりませんでした。キャッシュマンGMらが雛壇に上がるのを見ていただけ」(関係者)
野球界にコネもなく、ヤンキースの田中獲得の際も最後まで「陰の存在」に徹していた。こうした過去の姿勢に、「信用できる」と考えを改めたそうだ。
「エプラーGMは田中が入団した後も『何か困ったことはないか?』と聞いていました。アフターケアができるかどうか、今後、メジャーリーグのスカウトは日本、韓国などで信頼されるには、エプラーGMのような行動が必要でしょう」(前出・米国人ライター)
最後に、人を動かすのはハート。日本人選手がこういう言動を好むことをヤンキース時代に学んだのだろう。見方を変えれば、ヤンキースは大谷の獲得交渉に失敗しただけではなく、未来のGM候補まで流出してしまったようだ。もっとも、ヤンキースファンは来季のエンゼルス戦で大谷へのブーイングの準備を進めているそうだが…。