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【放送事故伝説】放送1回目から警察が出動? 伝説的な「ハプニング番組」

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 今から50年前、日本のテレビ番組で史上初の試みとなる「放送事故」を題材にしたテレビ番組がわずか3カ月間ではあるが、放送されたことがあった。それは元参議院議員で、ニュースキャスターの木島則夫(1925〜1990)が司会を務めた『木島則夫ハプニングショー』(1968年、テレビ朝日)である。

 この番組は「いま何が起こっているか」を生放送で伝える番組。「常に生放送」「台本は作らない」をモットーに、今はやりの映画ではないが「絶対にカメラを止めない」ことをルールとした、当時にしてはかなり意欲的な番組であった。

 この番組の初回の放送は、テレビ業界史上でも例を見ない「伝説の生放送」として語り継がれている。

 初回のテーマは「若者がたむろする新宿」で、番組のカメラは人通り激しいコマ劇通り前に向かった。木島則夫がとある若者にインタビューしたこところ、カメラに気づいた若者はパニックとなり、カメラに映ろうと若者たちが殺到。結果として何千人もの群衆がコマ劇前に集まってしまったという。

 少しでも目立とうと噴水に飛び込む者や喧嘩を始める者、ストリッパーのように全裸になる者も現れ、まるでデモや暴動のようになってしまった。最終的には警察も出動し騒動を収めるべく動いたが、全く収まらなかった。木島則夫ほとんど泣きそうになりながら、最後まで中継レポートを続けたという。

 あまりにも危険な企画が続き、この番組はわずか3カ月で打ち切りとなってしまった。

 なお、噂によると「ハプニング」という言葉が日本中に広まったのはこの番組がきっかけとされており、テレビ史から言えばそれなりの爪痕を残したようだ。

 なお、局内で映像が残っているのはこの1回のみ。他の回に関しては音源のみが残っているだけだという。

文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)

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