現役引退の記者会見を、16日に開いた横綱稀勢の里。2017年3月場所13日目(対日馬富士)で、大けがを負ってから約2年。ついに現実のものとなってしまった人気力士の引退に、ネット上でも数多くのコメントが寄せられている。
勝利数や休場などで横綱ワースト記録を残したことを理由に、「昇進は間違いだった」というコメントも散見されるネット上。しかし、ここまで一挙手一投足を見守ってきた一相撲ファンとしては、こうした論調には疑問を抱かずにはいられない。
稀勢の里が横綱に昇進したのは「14勝1敗」で、初優勝した2017年1月場所後だが、その直前の2016年11月場所は「12勝3敗」(3横綱撃破)で優勝次点。横綱審議委員会(横審)が定める、「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」という内規からは外れていない。
加えて、稀勢の里は大関在位中に「332勝133敗・勝率.714」という成績をマークし、2016年には「69勝21敗・勝率.767」で年間最多勝も獲得。さらに、横綱昇進後の2017年3月場所では、負傷する13日目まで負けなしの12連勝を飾ってもいる。昇進に値する強さが備わっていたということは、これらの記録を見ても分かる通りだろう。
昇進に関しては「2場所連続優勝で昇進させるべきだった」、「日本人横綱を作り出すために無理やり昇進させた」という批判も少なくないが、過去の横綱(年6場所制定着以降)を見ても、現役の鶴竜を始めとして、直前1場所の優勝のみで横綱となった事例は多く、直前2場所で1回も優勝せずに昇進した力士(柏戸、三重ノ海など)もいる。昇進後は不運だったが、昇進に関しては幸運だった。ただそれだけの話なのだ。
あの時の大けがが想定外の出来事であったことを考えると、後出しで「間違いだった」というのは少々酷。今となっては“たられば”だが、怪我がなければ、横綱の名に恥じぬ姿を見せてくれていたのではないだろうか。
文 / 柴田雅人