『24時間テレビ』の第1回放送は1978年である。総合司会を務めたのは“欽ちゃん”こと萩本欽一だった。会場も現在の日本武道館ではなく、郵便貯金ホールであった。欽ちゃんが『24時間テレビ』の仕事を引き受けるにあたっては、ある伝説が存在する。
「ギャラをめぐるエピソードですね。最初に打診された金額に対して、『それでは安すぎる』と突っぱねたのです。さらに、どんどんとギャラを釣り上げて行き、テレビ局側が『もうこれ以上出せない』といった段階まで来ました。交渉決裂かと思いきや、『そのギャラを全部寄付してくれ』と言い、引き受けたのです」(芸能ライター)
その影響かはわからないが、第1回の『24時間テレビ』の募金額は約12億円と歴代でも高額を記録している。生放送でカウントできたのは4億円ほどだったといわれている。だが、欽ちゃんは7回目以降は、パーソナリティーを降りている。これはなぜだろうか。
「やはりギャラが出ることに抵抗があったようですね。これは現在も、チャリティーパーソナリティーに対する矛盾として、批判の対象にもなっていますね。ただ、欽ちゃんは2007年の30回記念の年に、マラソンランナーとして番組に復帰しています。挑戦時は、史上最高齢の66歳(のちに徳光和夫70歳が更新)として話題になりました。番組恒例のギリギリのゴールを目指すも、失速し放送時間延長にもなっていますね」(前出・同)
あらゆる意味で、欽ちゃんが『24時間テレビ』を語る上で欠かせない人物であるのは確かだろう。