1981年に放送された本木雅弘・薬丸裕英・布川敏和などが出演していた『2年B組仙八先生』(TBS系)に中島が出演していたのだ。番組が始まった当初は、出演していなかったのだが、ドラマの終盤で本木雅弘が恋をする年上の高校生役での出演だった。ショートカットで清楚な美人系な中島をドラマで見て、一瞬にして『キリンレモン』のCMの子だとわかり、TV画面に出てきた瞬間は、舞い上がってしまった。それからはドラマのストーリーはもちろん楽しんで見ていたが、中島を見るというもうひとつの楽しみも増えて、毎週の放送時間をワクワクして待っていたものだ。
しかし会いたい気持ちも大きくなっていった。撮影現場に行けば中島を見ることは可能だったが、自分にはそこまでアクティブに動く行動力は無かった。そんなことを思っていた矢先の81年7月に『シャンプー』でレコードデビューをすることが決まった。もしかして新曲のキャンペーンなんかもあるのではと期待に胸を膨らませていたが、実際にキャンペーンは行われることはなかった(もしかしてあったかもしれないが自分の情報弱者で知らなかったかも)。でも歌手デビューということで、歌番組の出演や公開収録などに出演することもあったので、自分が見れる現場を探してみることにした。
自分が定期的に観に行っていた『アップルシティー500』(TBS系)という平日夕方5時からの生放送に出演するとの情報をキャッチした。場所は青山CIプラザだった。学校が終わってから急いで現場に向かってみると、客席は満員で、後方の立ちスペースしか行くところが無かった。それでも初めての中島を観れるので、どのポジションでも何とも思わない自分がいた。番組は1時間で終わってしまい、中島の出演は10分程度だった。それでも生で観れた喜びの方が強く、終始ニヤニヤしっぱなしだったことを今でも覚えている。嬉しさのあまり番組終わりには出待ちをすることにした。するとスラっとした長身の美少女が自分の目の前にやってきたのだ。すぐに声をかけると笑顔で応えてくれた。さらにここでダメ元で2ショット撮影をお願いすると、快くOKしてくれた。明らかに自分より背が高くて抜群のスタイルの中島と2人で寄り添って撮影したのは不自然な感じだったが、この上ない幸せの瞬間だった。
次に会える日を楽しみにしていたが、中島はアイドルとしてこの1曲しか発売しなかった。次第に元々の本業だったモデルに戻り、女性ファッション誌中心の活動になってしまった。その後96年には結婚をして、今では2人の女の子の母親である。
そんな感じで完全に芸能界を離れてしまったが、2003年頃から再びファッション誌を中心にモデル活動を開始した。今ではたまにバラエティ番組に出演したり、情報番組のレポーターなどもしているみたいなので、これまでもう会えなかったと思っていた遠い存在だった中島だが、以前に比べると自分と身近なところで活動している感じなので、もしかしたら35年ぶりに会えるのではないかと密かな期待をしている。できるなら本人的には黒歴史にしたいであろうアイドル歌手時代の話しを聞いて、最初で最後となってしまったシングル曲『シャンプー』を生で聞いてみたいものだ。果たしてそんな日は来るのだろうか? 来てくれることを信じて待ってみたいと思う。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。