ドラフト会議前、藤谷はその異色の経歴がクローズアップされてきた。父の仕事の関係で7歳のときに渡米。アメリカで野球を始め、ノーザン・アイオワ大学3年生だった昨季、18巡目でパドレスに指名されたが、入団を辞退。その後、同大学野球部が解散したため、南カリフォルニア大学に移り、千葉ロッテ指名に指名された。
「直球は150キロ強、野茂(英雄)氏に教わったフォークボールを武器に、大学では主に救援投手として登板していました」(在京球団職員)
国籍は日本でも、球歴は完全にアメリカである。パドレスの指名を辞退した後になるが、前出の在京球団職員によれば、「千葉ロッテ以外の日本球団も調査はしていた」という。
どの球団も、米学校、独立リーグなどで活躍する日本人選手の情報は収集している。しかし、藤谷を本格的に調査することになったきっかけは、日米両球界の「解釈の食い違い」だったようである。
「日本のプロ野球チームが指名を前提に調査している」
パドレスからの指名を辞退した後、米スカウトはそんな発言を繰り返していた。それを受け、日本球界も調査に本腰を入れたのだそうだ。「3年生途中から急成長した」(米メディア陣の1人)なる“詳細な現地情報”もある以上、日本が出遅れたのは仕方ないだろう。
「パドレスは藤谷の『卒業優先』の言葉を聞き、その思いが思っていた以上にかたかったので、『何か言えない理由がほかにあるようだ』と解釈したようです。その言葉が一人歩きした可能性もあります」(前出・米メディア陣の1人)
「日本球界入りを前提に−」なる米スカウトの発言は、“思い違い”だった。まず、藤谷本人が千葉ロッテの指名を受けたことについて、まず「驚いている」と語り、「ずっとメジャーを夢見てきた」と明言した。パドレス指名を辞退したのは大学卒業を優先したからであって、日本球界にドラフト指名されるのを契機に帰国する『人生プラン』は、全く持っていなかったのだ。
日本の各球団は「帰国の意志がある」と知り、本格的な調査を開始。「メジャー志望の強さ」を確認し、指名を見送ったのである。
とはいえ、藤谷は千葉ロッテ入りに傾倒しつつあるようだ。
「藤谷の発言が変わってきました。『驚いている』から『迷っている』に…。日本球界入りする気が本当になかったら、交渉のテーブルにも着かなかったはず」(前出・在京球団職員)
また、アメリカ生活は確かに長いが、日本的な考え方も持っていた。藤谷は在米日本人メディアの取材に対し、「やるからには、そこで一生を終えるつもりで」とコメントしていた。今は千葉ロッテか、メジャーへの夢を追うかで迷っている。だが、ロッテ入りを選択した場合はメジャー入りの夢を断ち切って、チームに尽くしたいというのだ。
「千葉ロッテの『和の野球』に合っていると思う。一般論として、アメリカの学生野球は日本と比べて指導が細かくありません。投球フォームの微修正、バント処理などの連携プレーなど、基本的なところからお復習いすることになる」(プロ野球解説者)
他の千葉ロッテ指名選手のお披露目は終わっている。プロ野球解説者の見方は厳しかったが、千葉ロッテは故障者の出た穴を全員で埋めるスタイルである。その意味では、藤谷の一軍デビューもそう遠くはないのではないだろうか。