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伝説の“全身網タイツ”の河村隆一、エビフライにも七変化?【有名人の消し去りたい“黒歴史”】

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河村隆一

 90年代、日本の音楽シーンを席巻したビジュアル系ロックバンド。奇抜なファッションにクールな出で立ち、音楽性に憧れる若者で大ブームとなり、街には容姿を真似た“V系”連中が出現し社会現象にもなった。また、ヒットチャートをにぎわせたバンドも多数存在し、今なお進化を遂げている。

 ブームの立役者はX JAPANと言っても過言ではないだろう。彼らの功績によって、一般的に広く認知され、後に影響を受けたバンドが多数誕生した。時代とともに異色を放ち多種多様なビジュアル系だが、これまでカリスマと言われたアーティストたちにも個性的なビジュアル戦略時代があったという。

 中でも、絶大な人気を誇ったLUNA SEAは、熱狂的な信者も続出するほど。グループのボーカルを務めた河村隆一は圧倒的な支持から『RYUICHI様』と称され、ビジュアルバンド界の“教祖”的な存在であった。

 同グループの結成は1989年。河村はメンバーの最後に当たる5人目の加入者だった。かつて、河村がSLAUGHTERというバンドで活動していたことを知る人は少ないだろう。そして、92年にアルバム『IMAGE』でメジャーデビューを果たし、それ以降、破竹の勢いでスターダムを駆け上った。

 「1987年から活動していたSLAUGHTER時代の河村は、LUNA SEA加入後もRAYLAという芸名をしばらく名乗り、ファンからは『RAYLA様』と呼ばれていたのです」(芸能ライター)

 その“RAYLA様”時代が河村にとって“黒歴史”だという。

 「インディーズ時代の河村は、床に届くほどのロングヘアーでした。血色の悪い口紅に“デーモン閣下”張りの塗り絵メイクに真っ赤なマニキュア。さらに、素肌に全身網タイツを着用した上に、レイザーラモンHGさながらのパッツリ感満載のボディスーツをまとい、奇怪を通りこし、異彩を放っていました。また、LUNA SEAライブでは第6のメンバーとしてファンを『SLAVE(奴隷)』と呼ぶなど、アングラなイメージを打ち出していたのです」(前出・同)

 河村は、グループの人気が上昇した1994年頃に短髪ヘアーにイメチェン。かつてのビジュアルから大きく変貌した。97年のバンド活動休止に伴い本名でのソロ活動を開始。河村は、バンドのイメージとは異なるキャラクターを前面に出し、バラエティ番組にも進出、俳優としてドラマへの出演もこなした。

 「2000年前後に『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の番組内に“ほんとのうたばん”というコーナーがありました。とんねるずの木梨憲武が河村のPV作品のオマージュを披露。ワイプに映し出される河村のPVと、河村になり切った木梨の作品を対比させたのです。笑いを入れながらも忠実に再現し、見事な出来栄えでした。最後のオチは河村のビブラートと同時に壁が崩壊し、木梨は椅子から転げ特設プールへ転落。さらに、よろめきながら粉まみれになり、油の入った鉄鍋を思わせる大きな液体入りの鍋の中に身を投じ、河村をエビフライに仕上げたのです。コントは視聴者の“ツボ”にハマり、一緒に映像を見る河村は、絶句しながらもウケていました」(前出・同)

 映像を見終えた河村は、うなずきながらも笑いをこらえつつ撮影に費やした労力を称え、その「神対応」ぶりが反響を呼んだ。

 「一方で、ファンからは大バッシングを浴びたようだ。恐れ多い“RYUICHI様”がコントのネタになったあげく、エビフライにされる姿はファンにとっての“黒歴史”だったという」(芸能関係者)

 2000年11月、同グループは「終幕」を発表。「解散」でもなく「無期限活動休止」でもなく、「終幕」という言葉にこだわった。

 河村は今年1月に、肺腺がんで手術をしていたことを公表し、術後は良好な回復を見せている。奇抜なビジュアルからコントのネタまで多様な変化を遂げた河村およびLUNA SEAは、一時代を築き上げた。結成30周年を迎えた同グループは、5、6月に日本武道館で記念ライブを開催した。これからも驚きと興奮に満ちたパフォーマンスで幅広く愛され続けることだろう。

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