マスクの下から聞こえてくる「ギギギ…ガガガ…」の機械音(初出は東京スポーツ)をファンは一生忘れない。
来る6月19日、新日本プロレス後楽園ホール大会において、スーパー・ストロング・マシンの引退セレモニーが予定されている。
実質ラストマッチとなった2014年4月以降はリングを離れていたが、道場で若手に稽古をつけるなどして新日を支え続けてきた。
素顔の平田淳嗣(旧名・淳二)として'78年5月に入門してから40年。途中1年ほど全日本プロレスへの参戦やWARへのレンタル移籍もあったが、それを差し引いてもこれだけ長きにわたり新日に仕えたレスラーは“マシン(平田)”をおいて他にいない。
主力選手が代替わりをし、経営母体までもが替わっていく中にあって、なぜマシンはリストラされることもなく活躍し続けることができたのか。
「まずはその性格のよさでしょう。明るく温厚で、マスクを脱いだ平田のことを悪く言う声は、先輩・後輩を問わず一度も聞いたことがない。さらに加えるならばそのギミックの優秀さでしょう」(スポーツ紙記者)
マスクのデザイン自体はシンプルだが、だからこそ汎用性に富む。
新日において2号、3号に始まりジャイアント・マシン(アンドレ・ザ・ジャイアント)やスーパー・マシン(マスクド・スーパースター)と増殖し、他団体でもPRIDEでのサク・マシン(桜庭和志の入場時コスチューム)、スーパー・ササダンゴ・マシン(DDTのマッスル坂井)など、多種多様な模倣キャラが登場している。
また、本家のマシンにしても、その時々のアングルに合わせてスーパー・ラブ・マシン、スーパー・ストロング魔神などと名乗ってきた。
当初の企画は「キン肉マン」であったが(版権問題でお蔵入り)、それでは逆にイメージが固定されてしまって、ここまで長く愛されるキャラクターに育ったのか、疑問符がつく。
「平田が凱旋帰国したときは、すでに完成していたキン肉マンのマスクをかぶり、それをタオルで隠して登場したのですが、これを先導したのがマネージャー役の将軍KYワカマツ。つまり、悪役としての参戦予定だったわけで、原作での正義の超人キャラとの違いもあって、さほど人気が出なかったかもしれない」(同)
初登場からいきなり、アントニオ猪木とのシングル戦を組まれたマシン(このときの名称はザ・ストロング・マシーン)。
その後は長州力の維新軍やUWF勢の離脱もあって、ワカマツ配下のマシン軍団はヒール側の主役を張ることになる。新日正規軍との対戦が一通り終わると、次にマシン軍団の仲間割れアングルが組まれたが、そんな中で日本プロレス史上に残る“迷セリフ”が飛び出した。
藤波辰爾が乱入したワカマツに襲われ、それをマシンが救出すると、藤波はマイクを握り締めて「おまえ、平田だろ!?」と、言い放ったのだ。
「プロレス雑誌を定期購読するようなファンの間では、マシンの正体が平田だということは当時から知られていた。しかし、そうは言いながら、ほとんどのファンは素顔時代の平田を知らないので、いきなり『平田だろ』と言われても、どこかしっくりこないんですね」(プロレスライター)
藤波としてはマシンを正規軍に誘う意図から発した言葉であろうが、説明不足のマイクだけでは、そこのところもハッキリしない。
何もかもがモヤモヤとしたままで、結局、マシンは正規軍入りするわけでもなく、どっちつかずの立ち位置となってしまった。
「マスクをかぶっていながらどこか感情がうかがえるというのが、マシン最大の特徴ではなかったか。思えばマシン軍団時代も好き勝手にふるまうワカマツと、技量に劣る他の軍団員たちの間で右往左往しており、まるで中間管理職のような役回りでした」(同)
'94年にヒールターンした蝶野正洋を誘ってタッグを組んだときも、蝶野から罵声を浴びせられ、唾をひっかけられるその姿はマスク越しにも悲壮感が溢れていた(SGタッグリーグ決勝戦、仲間割れからの敗戦後に『しょっぱい試合ですみません』と呻吟したのは、マスクを脱ぎ捨てた後のことであったが…)。
「無機質なマスク姿でありながら情感豊かな表現ができたのは、やはりその人柄があってこそ。もし素顔のままだったら“涙のカリスマ”というニックネームが、大仁田厚より似合っていたかもしれない」(同)
ずっと素顔のままであったならば、入門時にドン荒川が“三浦友和似”と称したそのルックスも、きっと今以上にあか抜けたものになっていた可能性が高い。
そんなマシン(平田)の繰り広げる大仁田顔負けの“人情プロレス”とは、いったいどんなものになっていただろうか。
スーパー・ストロング・マシン
平田淳嗣(ひらた・じゅんじ)1956年12月20日、神奈川県出身。身長183㎝、体重115㎏。得意技/魔神風車固め、ダイビング・ヘッドバット
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)