そんな中で追い込み、競りで単騎がんばったのは忽那重次郎(20期)だった。しぶとい地脚を活かしての競りは全国区ともいえた。GIの優勝はないが、記念や普通開催では大いに活躍した。
弟の忽那博(25期)は兄ほどの脚力はなかったが、ある意味で名前を売った。強引な競り戦法で在籍中の失格は62回、落車は25回を数えた。昔は競り負けるなら相手とともに落車したほうがいいというマーク屋も多かった。たしか4カ月の1期間に16回失格して160日の斡旋停止を食っている。普段はおとなしい感じだったが、競走車にまたがると鬼のようなレースをした。人気で番手を取れると思っていた追い込み選手にはいやな存在だったろう。
伊藤豊明(41期)は同期の井上茂徳(佐賀)には及ばなかったが、愛媛に初めてGIのタイトルをもたらした。子供のころから剣道で体を鍛えてバネのかたまりのような選手だった。
昭和55年の大津びわこ・高松宮杯から特別戦線に参加。なんと3年目の57年・同杯で、同期ナンバー1の村岡和久(福岡)やスーパースター尾崎雅彦(東京)を破って優勝してしまった。同期では井上に次ぐGI制覇で、目標の少ない伊藤はそのハンデを乗り越えての快勝だった。