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今年8月、ケンドー・カシンこと石澤常光は、WWEパフォーマンスセンター(基礎トレーニングからリング上の演出までを学べるWWE式道場)のコーチに就任した。
レスリング全日本学生選手権3連覇の実績を持ち、ルタ・リーブリなど格闘技術の習得にも熱心。メジャーからインディー、総合格闘技とさまざまな舞台で闘ってきた経歴からしても、コーチには適任と言えそうだ。しかし、その一方でこれまでのカシンのひねくれた言動からすると、「あのカシンがコーチ?」と疑問を抱く向きも多いだろう。
「昔から他のレスラーたちと感覚の異なるところがあって、新日本プロレスに入門して4年目の’96年、若手の登竜門であるヤングライオン杯で優勝した際には、賞金として渡された小切手風のパネルを折り、その半分を決勝で闘った永田裕志に渡しました。相手の健闘をたたえるパフォーマンスだとしても、栄誉として贈られたパネルを半分に千切るという行為自体が普通ではありません」(プロレスライター)
欧州遠征でマスクマンとなり、’97年4月に凱旋帰国を果たすと、そうしたカシンの振る舞いがクローズアップされ始める。
’97年10月、新日ジュニアでは獣神サンダー・ライガー、エル・サムライ、カシンの覆面トリオと、金本浩二、高岩竜一、大谷晋二郎のトンガリ・コーンズによる抗争が繰り広げられた。その渦中で金本とシングル対決したカシンは、壮絶な喧嘩マッチの末に敗れると、自らマスクを脱ぎ捨てて金本に襲いかかった。
興奮状態のまま控室に戻ったカシンは、「俺は別にいつ辞めたっていいしね。全然プロレス界に必要な人間じゃないし、潰すか潰されるか、それだけだ」とコメント。隙あらば味方にさえ牙をむこうとするカシンの姿勢には、覆面軍リーダー格のライガーも「あいつは制御不能」とサジを投げていた。
空中殺法に関節技で対抗していくスタイルからしても、カシンは予定調和的だったジュニア戦線に紛れ込んだ異分子であった。
’99年1月にIWGPジュニアタッグ王座を獲得(パートナーはドクトル・ワグナーJr.)、5月にベスト・オブ・スーパージュニアで優勝すると、8月には金本を破りIWGPジュニア王座も奪取した。
「勝利者トロフィーを投げ捨て、認定書を破り捨てるなどはざらのことで、自作のベルトを巻いて本来のベルトを足蹴にすることもありました」(同)
★唐突なコメントの裏にある真意
カシンは発言においても、制御不能ぶりを加速していく。
’99年9月、ジュニア王座の初防衛戦でライガーを下した後、記者からの「おめでとうございます」の声に「うん、余計なお世話だ」と返答。
スーパージュニア優勝後には、テレビ朝日の真鍋由アナに「お前、これ換金して寄付しとけ、ネコババするなよ!」「コソボだ、コソボ!」と、賞金として受け取った500万円の小切手ボードを投げつけた。
当時、紛争状態にあったコソボに寄付というのは、善行には違いなかろうが、プロレスラーの発言としてはあまりにも唐突である。
しかし、これには裏事情もあったという。
「当時、新日からの賞金というのは発表したものよりもかなり少額だったそうで、あのあとカシンは100万円をコソボに寄付しているのですが、これはつまり実際の賞金が、500万ではなく100万だったという告発の意味もあったのでは?」(同)
もっともカシン自身は多くを語らないため、真意がどこにあったのかは分からない。
全日本プロレス移籍後、世界タッグ王座のベルトを返還せずに訴訟騒ぎになったことも、自身に対する契約のいい加減さや、元全日役員への給与未払いに対する抗議の意味からだったとする説もある。しかし、これも結局のところ真相不明のままだ。
「NHKの朝ドラ『マッサン』では、毎回、エンディングで国際結婚したカップルの写真を紹介していたのですが、ある日そこに素顔の石澤と奥さんらしき女性、幼子2人の家族写真が登場したことがありましたが、これもカシンは『人違い』で通しました」(同)
かつてプロレスの魅力の一つには、“未知の強豪”や“謎の怪物”などのミステリアスさがあった。
ネットやSNSの発達でそれが難しくなった現在において、マスクと素顔、プロレスと格闘技を行きつ戻りつしながら、ファンに謎を提供してきたカシンは、極めてプロレス的に貴重な存在であろう。
ケンドー・カシン
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PROFILE●1968年8月5日生まれ。青森県南津軽郡出身。
身長181㎝、体重87㎏。得意技/飛びつき式腕ひしぎ十字固め。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)