「ビックリしましたよ。チームとの縁が切れたわけではありませんが、昨年、一昨年は意図的にこちらを避けていたように聞いていたので」(チーム関係者の1人)
ヤクルトナインを驚かせた珍客とは、古田敦也・前監督(44)である。これまで、古巣との接触を避けていたように見えたのは成績不振による退任劇もあったからだろう。もちろん、双方にわだかまりはないが、古田氏のヤクルトナインとの接触は久々の実現だった。
そのときの古田氏だが、ユニフォームを着ていたころとは大違いだった。愛想が良く、球団、球場の裏方スタッフにも自ら声を掛けまわり、再会の握手を差し伸べていた。
「現役、兼任監督時代はピリピリしていて、近寄りがたい雰囲気もありました。当たり前といえば当たり前だけど」(前出・同)
しかし、その愛想の良さにヤクルトナインは一歩退いてしまった。
「握手の手を差し出す姿というか、そのときの笑顔がサマになりすぎていて(笑)」
神宮球場の一塁側ベンチからはそんな声ももれていた。
古田氏は横浜ベイスターズ側のベンチも足を伸ばし、尾花高夫監督とも暫し談笑。高田繁監督、旧知のベテラン・宮本慎也(39)とも長く話し込んでいたが、前出の関係者によれば、「野球の話はほとんど出なかった」という。一体、何の話をしていたのか−−。
「古田サン、選挙にでも出るんじゃないの? 握手する姿もサマになっていたし」
ヤクルト側ベンチから、そんな“冗談”も聞かれた。
古田は若手与党議員とも親しく、東京五輪の招致大使も務めた。兼任監督時代、IT企業の有力者、起業人との親密ぶりも報じられ、「野球選手ではなく、まるで実業家」と、皮肉られたこともあった。
「近鉄とオリックスの合併騒動のときも、選手会長として奔走した人ですからね。古ダヌキのような球団経営者を向こうにまわし、議論を繰り広げています。司法方面にも知人が多く、法律に関する知識も豊富です」(在京球団職員)
現在、古田氏は野球の底辺拡大のため、地方での少年野球教室にも出掛けているが、こうした政財界にも広がるネットワークにより、「出馬は時間の問題」とも言われる。当の古田氏はそんな関係者の反応を一笑するかもしれないが、当日のヤクルトは野球に専念できず(?)、横浜に敗退。突然の神宮訪問の目的は誰にも分からない。