東京から横浜方面に向かう街道といえば、ご存知「東海道」である。東海道は江戸時代に整備された五街道のひとつで、横浜どころかさらに西へと延びて京都までつながっていた。それを継承したのが国道1号だ。
……と言いたいところだが、東京〜横浜間の国道1号はだいぶ内陸に切れ込んで、大田区の中心部を縦断するルートを通る。いわゆる“第二京浜”というヤツだ。このあたり、今でこそ大住宅街になっているが、戦時中は疎開先にもなったほどのド田舎だった。中途半端に馬込付近までは都営地下鉄浅草線が通っていたりするが、これは本線でありながらも運転本数が少ない事実上の支線、ローカル線。そのあたりからも察することができる通り、現在の国道1号のルートは東海道ではない。にもかかわらず、沿線の住民は「我ら公道1号沿いの住民」と胸を張るもんだからややこしい。あんたら、田舎者だよ。
で、保守本流の東海道。こちらは京急本線とほぼ並行するように海側を走っており、その名も国道15 号。またの名を“第一京浜”である。東京と横浜を結ぶ“街道”には、この第一京浜と、国道1号の第二京浜、そしてさらに内陸の第三京浜あたりが有名だが、特に交通量の多いのが海沿いの第一京浜である。
品川付近には東海道最初の宿場町・品川宿や船溜まりもあったりして、旧街道の面影を今に残している区間もちらほら。多摩川を渡って神奈川県内に入れば、JR鶴見線の「国道駅」などという身も蓋もない名の駅と交わり、生麦付近は幕末の生麦事件の舞台になった。と、まあさすがの歴史の旧東海道。
そんなわけで、日本一の街道筋の住民たちはさぞかしプライドが高そう……。と思いきや、変なプライドを誇るのは、せいぜい東京都内の“下町ヅラ”をしている連中くらい。実際は古くからの街道筋の上に、京浜工業地帯に近いという場所柄、ハッキリ言って東京から郊外に延びる街道の中では屈指の“柄の悪さ”を誇る。
さすがに今でこそ暴走族は姿は消したが、国道15号から一本脇道に入れば怪しげな歓楽街があったり、港湾労働者の成れの果てのような貧困者が暮らしていたり…。
そう考えれば、田舎者がこじらせたプライドを持つ国道1号沿いのほうが、はるかにマシなのかもしれない。