「プロに入って13年目でクビになり、初めて分かったのは、自分は野球が好きなんだということ。失って初めてそれが分かった」
07年、宮地は2年連続のトライアウトに臨んだ。シートノック、シート打撃での守備においても堅実、かつスピーディーな動きと強肩ぶりをアピールしていた。
バッティングでは5打席が与えられた。その最後の5打席目、宮地のバットから快音が聞かれた。この日、2本目のヒットである。
「自分はこれで最後になるかもしれないと思いながら打席に入って、その打席できっちりヒットを打てた。そういうことですよ」
トライアウト会場に駆けつけたプロ野球ファンは、一塁ベースに立った宮地に拍手を送った。表情は変えなかった。
真剣勝負の打席は、これが最後となった。
ようやく、野球が分かってきた。正面から野球と向き合い、24時間、ユニフォームを脱いでも野球のことばかり考えてきた。人体の仕組みに関する本も読んだ。他競技の運動、トレーニング方法も勉強し、野球に取り入れたりもした。福岡、富山と渡り歩き、家族には申し訳なく思っているが、単身生活で野球と向き合い、ストイックになる心地好さも感じられた。情熱で野球をやるサンダーバーズの若者たちにも情が移っていた。
「鈴木監督の胴上げ、アルペンスタジアムを満員にすること、NPB復帰。3つの目標を公約に上げていたのに果たせなかった。11月末までこれからのことを考えようと思います」
現役引退を決断したのは、そんな言葉を発した後だった。
翌08年、宮地はホークスからコーチ招聘され、11年には古巣の西武に指導者として帰還した。3度もトライアウト受験もそうだが、現役引退以降、指導者として球団に残れる選手は少ない。流転で培われた『野球道』が彼を逞しくさせ、NPBから必要とされる理由にもなったのだろう。(スポーツライター・美山和也)
※本記事は2008年1月13日発行『プロ野球戦力外通告』(OAK-MOOK194号/リストラの方が目指す「2度目の奇跡」・美山和也著)を加筆改定したものです。