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クビの翌年に優勝チームのレギュラーに トライアウトを経て唯一キャリアハイを挙げた男・宮地克彦(4)

 トライアウトとは、ある意味で残酷なシステムともいえる。01年に選手会がその実施を認めさせたものの、1回目のそれは再起の試験の場とはならなかった。実戦形式でのフリー打撃が行われても、ポジションごとに受験者を揃えたわけではないので、二遊間には誰もいない状況だった。雨が降ってくると、各球団の編成員は球場の奥に隠れてしまい、形骸化の様相は受験者も感じ取っていたという。いまではプロ野球選手会労組が改善を重ね、各球団も受験選手に配慮しているが、彼らの合否はトライアウトでの結果だけでは決まらない。ドラフト、外国人選手の補強、トレード、FA…。トライアウト受験者のリストが編成員の目に止まるのは、補強の全てが終わった後の補足の段階になってからである。
 「プロに入って13年目でクビになり、初めて分かったのは、自分は野球が好きなんだということ。失って初めてそれが分かった」

 07年、宮地は2年連続のトライアウトに臨んだ。シートノック、シート打撃での守備においても堅実、かつスピーディーな動きと強肩ぶりをアピールしていた。
 バッティングでは5打席が与えられた。その最後の5打席目、宮地のバットから快音が聞かれた。この日、2本目のヒットである。
 「自分はこれで最後になるかもしれないと思いながら打席に入って、その打席できっちりヒットを打てた。そういうことですよ」
 トライアウト会場に駆けつけたプロ野球ファンは、一塁ベースに立った宮地に拍手を送った。表情は変えなかった。
 真剣勝負の打席は、これが最後となった。

 ようやく、野球が分かってきた。正面から野球と向き合い、24時間、ユニフォームを脱いでも野球のことばかり考えてきた。人体の仕組みに関する本も読んだ。他競技の運動、トレーニング方法も勉強し、野球に取り入れたりもした。福岡、富山と渡り歩き、家族には申し訳なく思っているが、単身生活で野球と向き合い、ストイックになる心地好さも感じられた。情熱で野球をやるサンダーバーズの若者たちにも情が移っていた。
 「鈴木監督の胴上げ、アルペンスタジアムを満員にすること、NPB復帰。3つの目標を公約に上げていたのに果たせなかった。11月末までこれからのことを考えようと思います」
 現役引退を決断したのは、そんな言葉を発した後だった。

 翌08年、宮地はホークスからコーチ招聘され、11年には古巣の西武に指導者として帰還した。3度もトライアウト受験もそうだが、現役引退以降、指導者として球団に残れる選手は少ない。流転で培われた『野球道』が彼を逞しくさせ、NPBから必要とされる理由にもなったのだろう。(スポーツライター・美山和也)

※本記事は2008年1月13日発行『プロ野球戦力外通告』(OAK-MOOK194号/リストラの方が目指す「2度目の奇跡」・美山和也著)を加筆改定したものです。

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