なぜそうなったのか。郵政三事業は、かつて郵政省、すなわち国が行う事業で、従業員も国家公務員だった。その時代を長く経験している高齢者は、郵便局に絶大な信頼を寄せている。だから、郵便局員が騙すはずがないと信じている。その信頼を、過酷なノルマに窮した郵便局員が悪用して、高齢者を手玉に取ったのだ。
40年前の話だが、私は日本専売公社(現JT)で、営業の仕事をしていた。年間の販売ノルマはかかっていたが、達成は簡単だった。年度末近くになって、預金通帳とハンコを預けてくれた販売店が2軒、白紙小切手を預けてくれた販売店が1軒あったからだ。いずれも店主は高齢者だった。彼らの頭のなかでは、専売公社は、もともとの「大蔵省専売局」のままだったのだ。
今回の事件を受け、かんぽ生命は現場に課しているノルマを廃止するとしている。しかし、それを額面通りに受け取る従業員は、ほぼいない。郵便事業でも、年賀状販売で過酷なノルマがかかり、従業員が自ら年賀状を大量に買い込む「自爆」が問題になり、個人ノルマは表向き廃止された。しかし、いまだに局員の自爆は続いている。個人ノルマがなくなっても、チーム目標は残っているからだ。
私は根本的な問題解決に、郵政の再国有化が不可欠だと考える。日本では郵政民営化を掲げた小泉内閣が、’05年のいわゆる郵政選挙で、圧倒的な国民の支持を受け勝利したため、「郵政民営化は間違っていた」とは言いにくい空気が支配的だ。
確かにかつての郵政省には、親方日の丸の雰囲気が漂っていて、効率的な事業運営ができていなかった。しかし、民営化されてから国民にとってよくなったことがあるだろうか。例えば、ずっと続けられてきた郵便物の土曜日配達は、いま廃止の方向で検討が進められている。ゆうちょ銀行も、元本割れの恐れのある投資信託の販売に注力するようになった。そして、今回のかんぽ生命の不適切販売だ。株主が求めるのは利益の拡大だから、そのツケが利用者に回ってくることは、民営化の時点で十分予想できたし、それが露骨に表れてきた証拠が、今回の事件ではないだろうか。
民営化がもたらした被害は日本だけではない。サッチャー改革で片っ端から民営化を断行したイギリスでも、反省の機運が広がっている。イギリスの労働党は、郵便、水道、エネルギー、鉄道といった国民生活のインフラ産業に対して、公的なコントロールを取り戻すことを公約に掲げている。
日本の郵便局は、まさに社会インフラだ。全国の郵便局数は約2万4000もあるが、三菱UFJ銀行の支店数は、全国で754にすぎない。金融機能を郵便局に頼る地域は多いのだ。
私は、効率化と安心のバランスが取れる「郵政公社」くらいの形態に戻すことが、国民にとって望ましいのではないかと考えている。