藤波辰爾に向けられたこの言葉自体は、リング上ではなく後日報道や自身のインタビューで出てきたものであるが、そのころの長州の心情を如実に表したものには違いない。
「抗争アングルはプロレスに付きものですが、そのきっかけが一選手にすぎない長州の意思であったという点が当時としては珍しかった」(プロレス記者)
くすぶっている現状を悲観して引退まで口にした長州に対し、社長である猪木がチャンスを与えたというのが真相だった。
「ただし、実際に長州が嫉妬心を抱いていたのは藤波ではなく、ジャンボ鶴田に対してでした」(同・記者)
プロレス入りする前の'72年ミュンヘン五輪、日本と韓国、国は違えどレスリング代表として出場した鶴田と長州。その鶴田が全日本プロレスで着々と次期エースの座を築いていたのに対し、先の見えない自分自身にイラ立ちと不安を覚えていた。
「鶴田は入団会見の際に“プロレス界に就職する”と言ってファン関係者からの不興を買いましたが、実は長州も同じ。全日では入団時期の差で鶴田の後輩になってしまうため、八田一朗レスリング協会会長(当時)の計らいで新日入りしたという経緯があります」(同)
特にプロレスや猪木に憧れがあったわけではなかったからか、業界タブーも気にしない。
『プロレス界に非常ベルが鳴っているのに誰も気付かない』(衰えが目立つ猪木がメーンを張り続ける状況に加え、新日黄金期の利益が別事業に垂れ流されていることを憂いて)
『あいつらはプロレスの中にいるか外にいるのか。中だろ? なのに、あいつらは外にいるかのように振る舞っている』(UWFが純粋な格闘競技ではないことを喝破)
露骨にプロレスの“仕組み”を暴くことまではしなかったが、それでもどこか裏事情をにおわせる発言の数々は、プロレスの裏側までのぞこうとするマニア心をくすぐった。
そうした名言の中でも最も広く知られるのが、長州小力のモノマネにより一般にまで浸透した『キレてないですよ。俺をキレさせたら大したもんだ』であろう。
'95年10月9日、東京ドームでの安生洋二戦。
実際に長州が試合後発したのは「キレちゃあいないよ」で、また「俺をキレさせたら〜」は試合前の発言ではあるが、そこは大きな問題ではない。同じ試合後のインタビューにおいては「安生は俺をキラしたかったんじゃないか? 勇気ないよな」と、“安生はシュートを仕掛けてこなかった=あくまでもプロレスの範疇の試合だった”ことを思わせる言葉を残している。
日本中のプロレスファンの注目が集まる新日本vsUWFインターナショナルの団体対抗戦。最初の2戦では新日側が勝利するも、そこからUインターが連勝して迎えた第5試合。相手の安生はこれまで先頭に立って新日への挑発を重ね、前哨戦のタッグマッチでも長州組に勝利。新日ファンのフラストレーションは溜まりに溜まっていた。
長州に求められたのは単なる勝利ではなく、完膚なきまでに安生を叩きつぶすことだった。
ゴングと同時にヒザ蹴りとハイキックのコンビネーションで攻め立てる安生に対し、長州は一切動じる様子を見せずにゆっくりと前に歩みを進めると、コーナーに詰めてヘッドバットを連打。掌打に対しては激しいエルボーで応じ、実況の辻よしなりアナは「ついに長州がキレた〜!」と絶叫する。
そうして安生の蹴り脚を捕えると、無造作に持ち上げてスパインバスター。サソリ固めはかろうじて逃れた安生だが、バックドロップ→リキラリアットと喰らってはなすすべもなく、2度目のサソリでフィニッシュとなった。
試合時間わずか4分5秒−−。新日ファンの快哉に沸く東京ドーム。
これだけの試合をすれば、プロならば“キレたふり”を装うべきとの考えもあるだろう。しかし長州は本音のままに“キレてない”と言い切ってしまう。これが若手なら会社から大目玉を食らうことにもなりそうなものだが、ファンはそんな長州にこそ“リアル”を感じたのだった。