去る12月6日、井口資仁内野手(35)の後援会パーティーが都内ホテルで行われた。挨拶に立った瀬戸山隆三・球団社長は「近い将来、監督としてロッテを率いて」と“リップサービス”をし、出席者を驚かせた。
「西村(徳文)さんが監督に昇格したばかりなのに…。瀬戸山社長と井口はダイエー時代からの付き合いで、08年オフのロッテ入りの際に交わした『3年契約』が『5年』だったことも判明しました。将来、本当に井口はロッテ監督に就くと思う」(関係者)
千葉ロッテマリーンズが日本一、アジアシリーズ制覇に成功したのは、05年。その影の功労者は、昨シーズン限りでの引退を表明した小宮山悟投手(44)だと言っていい。04年、ロッテ指揮官に復帰したバレンタイン監督と救援投手陣の間には、溝が出来掛けていた。
「メジャーでは、本当にこんな調整をやっているんですか!?」
救援投手陣は同監督の継投策に対する疑問を、小宮山にぶつけた。
「投手の肩は消耗品」と思っていたボビー・バレンタイン監督は、「ワタシが指示した投手以外、ブルペンでの投球練習を禁止する」と通達した。救援投手は試合経過を見ながら、投球練習を開始し、“お声”が掛かるのを待つのが一般的だ。また、日本球界には「試合登板がなくても、ブルペン待機すればプラス査定が付く」という悪しき伝統もあった。同監督は、そこにメスを入れたのである。
だが、実際に指示が出たから「5分」と経たないうちにマウンドに送り込まれるなどし、04年の救援陣の成績は散々な結果に終わった。「メジャーでは本当にこんな調整をしているのか!?」の疑問をぶつけられた小宮山は、ストレッチやアップ運動だけで体を温め、ギリギリまで投球練習をしないメジャー流を説明した。野茂英雄の成功以来、メジャーが遠い存在ではなくなった。
「世界で通用する投手になりたいんだったら、オレたちがボビーに合わせるしかないよね?」
メジャーで救援も経験した小宮山の言葉には説得力があった。
05年優勝の牽引役となったのは、後に『YFK』と称された救援投手陣たちである。ベテランの域に達した井口に求められるのは、指揮官と選手を繋ぐパイプ役だ。それが出来なければ、ロッテの浮上はないだろう。瀬戸山社長の発言はリップサービスではなく、井口に対する檄であったのかもしれない。(スポーツライター・美山和也)