韓国紙「朝鮮日報」は同公演について韓国政府当局者の話として「(北朝鮮が)米国国歌を演奏しても問題ない、との立場を米国側に伝えたことが分かった」との仰天情報を報じている。さらに「金総書記の前で米国の国歌を演奏する初めてのケースとなる見込みだ」としている。
事実ならば、あれほど米国を憎んだ金正日総書記の目の前で、まさかの合衆国国歌が演奏されることになる。
公演計画は北朝鮮の要請を受けたもの。NYフィル側は今月初旬に先遣隊を北朝鮮に派遣して可能性を探っている。時期は来年2月が有力視されている。実現する可能性はどの程度あるのか。
北朝鮮事情に詳しい慶應義塾大学法学部専任講師の礒敦仁氏は「難しいが可能性はある。ただし、2年前、平壌市内で行われた女子ボクシングのタイトルマッチで合衆国国歌が流された例外はあるものの、北朝鮮人民のほとんどは聴いたことがない。そのため『これが合衆国国歌だ』とは知らされずに演奏されることが考えられる」と解説する。仮に合衆国国歌と紹介したうえで演奏されれば「その意味は非常に大きい」という。
かつて米中が「ピンポン(卓球)外交」で距離を縮めて国交正常化を成し遂げたのはあまりにも有名だ。「長い歴史のスパンで考えれば、同公演が米朝正常化のきっかけになるかもしれない。非常に興味深い動き」(礒氏)
つい数年前まで「悪の枢軸」「全世界の敵」と罵り合っていた米朝だが、最近の蜜月関係をみるとあり得ない話ではない。
金総書記の音楽好きはつとに知られている。1980年代から90年代にかけて北朝鮮に滞在し、金総書記の料理人を務めた藤本健二氏の著書によれば、金総書記は宴会で「ラバウル小唄」などの日本の軍歌を好んで歌ったという。また、都はるみと島倉千代子のファンという話もある。意外と日本の心「演歌」に共鳴しているのだ。
礒氏は「クラシックは金総書記も好んで聴いていた時期があるといわれ、たまに北朝鮮映画でも用いられる。しかし、近年はそれよりも韓国のポップミュージックを好んで聴いているようだ。事実、2000年以降はさまざまな韓国の歌手を個別に招き入れている。紅白歌合戦にも出場したことがあるキム・ヨンジャは2度金総書記と面会している」と音楽志向を明らかにする。
金総書記ばかりではない。長男の正男氏は「幼いころから韓国ドラマを観ていたという情報があり、韓国の音楽に通じている」(礒氏)。二男で有力な後継者と目されている正哲氏は昨年、ドイツでエリック・クラプトンのコンサートを4日間連続で鑑賞したところを日本のテレビ局にキャッチされた。
正哲氏の母で金総書記の4番目の妻であるとされる高英姫氏(故人)は、元在日朝鮮人で北朝鮮最高の公演団体「万寿台(マンスデ)芸術団」の舞踏手として活躍したとの情報がある。つまり音楽一家なのである。礒氏は「金総書記がキム・ヨンジャや引田天功を招いた例にあるように、北朝鮮はトップの個人的な趣味嗜好が如実に反映される国。正哲氏または(同じく高氏を母に持つ)三男の正雲氏がフィルハーモニックに興味を示しているのかもしれない」と指摘する。
いずれにしろ、日本政府としても米朝の「クラシック外交」を無視できない。金総書記は映画「男はつらいよ」シリーズの大ファンといわれ、拉致問題解決に向けた福田首相の手腕が問われるところ。まさか“切り札”が寅さんの主題歌や軍歌、演歌ではないだろうが…。
○ニューヨーク・フィルハーモニックとは
ニューヨークを本拠に活動している米国最古のオーケストラ。「ウィーン・フィル」「シカゴ交響楽団」など世界5大オーケストラの一つで、1842年の創立以降、世界各地でツアーを行っている。世界的音楽家の小澤征爾が副指揮者に就任したこともある。団員は110人ほどで、現在の指揮者は、ロリン・マゼル氏。
○「ピンポン外交」とは
1970年代、米国と中国が卓球交流によって敵対関係を解消したことをいう。71年4月、米国代表卓球チームが共産化後の中国を米国人として初めて訪問。これをきっかけとして、同年7月のキッシンジャー米大統領補佐官(当時)極秘訪中と翌72年2月のニクソン大統領(同)訪中により米中の関係改善が進み、79年1月に国交を樹立した。