「野球では、背番号を見ないと誰かわからないようでは半人前。遠目でもわかるようでなければダメだと先輩から言われました」
そして杉山は、金田正一の剛速球、杉下茂のフォークボール、そして神様、仏様、稲尾様の迫力ある投球も、その声で伝えてきた。
「ある人から『あなたは“相撲の杉山”と言われるが、他のスポーツを実況したことはあるんですか?』と聞かれたことがあるんです。私は名古屋の次に福岡に赴任しましてね、西鉄の実況はよく担当しました。'58年9月27日に行われた西鉄-南海戦は、稲尾と杉浦が投げ合って0-0で延長戦。結局引き分けでしたが、あれを実況したのが私でした」
'68年のメキシコ五輪では、レスリングの中継も務めた。実況したのは、レスリング重量級で銀メダルを獲得した、モンゴルのジグジドゥ・ムンフバト。白鵬の父親だ。閉会式の中継で杉山は「モンゴル人ただ一人のメダリスト、ジグジドゥ・ムンフバトさんが行進しています。私の目の前を通っています。嬉しそうです」と実況している。
そんな中、杉山にはあるこだわりがあったという。
「基本は現場にすべての情報がある、というのが私の持論。NHKも民放も、今の実況ではアナウンサーが解説者とのやりとりで済まそうという人が少なくありません。しかし、私は紙切れ1枚を前に置いて、現場、つまり目の前の試合を見た。解説者を気にして横を見ていると大事なものを見落とす可能性があるからです。野球で言えば、1.5の視力を広角レンズにしたつもりで、スコアボードからキャッチャーまで丸ごと見ました。バッターによって左中間が広くなったり、右中間が狭くなったりと守備位置が微妙に変わる。そんな野手やバッターの一挙一動を伝えることが必要なんです」
確かに現在の実況方法は当時と大きく変わっている。野球放送ではアナウンサーが解説者とのトークを楽しんでいる場面も多い。そこには、今や鮮明に映しだされるきれいな映像を見せておけばいいという安心もあるのだろうが、緊張感がないのも事実で、物足りなさも感じられる。
杉山は、時計を見なくても30秒でまとめて欲しいと言われれば、ピタリとその時間通り話をまとめる“特技”を持ち、かつてテレビの特番でも紹介されたことがあった。
「それは半世紀もやっていればやれるようになります。しかし、あえて言うと、表現は一行で完結することを心掛けること。言葉が伝わっていくのは一行、一行に重みがあるからです。そのために説得力も出てくると思います」
アナウンサーの口癖を注意して聞いていると、今の特徴は「…けれども」で言葉を繋いでいく人が多いことである。
「以前は『…まして』でつないでいく人が多かったが、これもいただけません。また、言葉が途切れると、不安に思うのか『え〜』『あ〜』『う〜』となる人もいるが、これも絶対に言ってはいけない。そうするとね、これが結構、間になる。そこを我慢しなければならないんです」