「三四郎といえば、滑舌が悪い小宮浩信さんと相田周二さん。成城学園中学校時代の同級生で、そのまま高校に進学しました。小宮さんが高2で留年して、後輩になるというアクシデントもありましたが(笑)、そのころの先輩が、映画監督の萩原健太郎さん。昨年、映画『東京喰種 トーキョーグール』のメガホンを取り、世界的に名を広げた巨匠です」
『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で連載されていた同作は、人の姿をしながら人を喰らう怪人・喰種(グール)が、東京で繰り広げるバトルアクション。世界累計発行部数は3,000万部を超えており、アニメ・舞台・ゲームに続いて昨年、待望の実写化に踏みきった。萩原監督にとっては、長編デビュー作だった。
萩原監督は、三四郎の3年先輩。しかも、同じグランドホッケー部だった。小宮と相田は飛びぬけて目立った存在ではなかったが、萩原監督は流行だった金髪にツイストパーマをかけたド派手な風貌。全身ダボついた服をゆったり着こなし、金のネックレスをする“スーパーチャラ男”だった。グランドホッケーのプレイ中にも、腰でパンツをはく腰パンスタイルを崩さず、世間をナメていた。そのころから「アメリカで映画を撮りたい」と口にしていた。
三四郎がそんな噂を耳にした翌月、ほんとうに学校を退学して、映画の専門学校に編入。20歳で単身渡米して、語学学校を経て、07年に米国ロサンゼルスのArt Center College of Design映画学部を卒業した。帰国後、ソフトバンクやTOYOTA、コカ・コーラほか、多くのCM、ミュージックビデオ、ショートフィルムの演出を手がけた。13年に開催された米国サンダンス映画祭では、初の長編脚本作品『Spectacled Tiger』が「サンダンスNHK賞」を日本人で初めて受賞している。『東京喰種』は日本、米国、ドイツほか世界20か国以上で上映されている。
そもそも萩原監督は、映像制作の血筋がある。母の兄である林瑞峰さんは、映画の配給・興行会社の株式会社ヒューマックスシネマ代表取締役社長。その母の姉は現地の外国人と結婚した米国在住だった縁があり、萩原少年は小学生の夏休みになると本場の映画館に足を運んでいた。その経験から、俳優になりたいと思った時期もあったという。
小宮はそんな萩原監督に高校時代、ある告白をしている。校内で気になる女子がいて、「あの子のことが好きなんだけど」と恋心を明かしているのだ。その時の萩原監督は、「えー。そうかぁ?」とタイプではない反応を示すことで、硬派を貫いた。ところが、そのおよそ1か月後、その女子と交際していた。
トップクリエイターにして世界に誇れる日本人監督に、オンナを奪われていた小宮。芸人としては、これもおいしいネタかもしれない。
(伊藤由華)