人を説得するには「なだめ」「すかし」という手があるが、何より強力、功を奏するのは「数字」を掲げての説得である。田中角栄元首相ら実力政治家といわれた人たちの共通項が、この数字に強いということである。
「コンピューター付きブルドーザー」の異名のあった田中角栄などは、「皆さん! 日本は83%が山。台風が来れば砂利があふれて流れる。治水、利水ダムがなければいかん。戦後できたダムは1033カ所、現在建設中のもの542カ所、さらに建設が必要なもの560カ所。まぁねぇ、私が昭和30年に治水10カ年計画の会長をやったとき、大蔵省は昭和60年までに150カ所のダムを造ればいいと言ったが、とんでもない。私は1500カ所の予算要求をしたんだ。それでないと人命は守れない。皆さん、分からなきゃダメですよ。ために、私は土方代議士なんていわれた(笑)」(昭和56年9月の演説)といった具合、笑いを交ぜた数字の速射砲でダム建設の異論を丸め込んでしまったのであった。
もう一人の「数字の達人」が、この「ミッチー」の愛称で知られた渡辺美智雄元副総理であった。先の総選挙で金銭不祥事がたたって落選した渡辺喜美前代議士の親父さんだ。田中の「コンピューター付きブルドーザー」に対して、「コンピューター付き行商人」の異名があった。子供のころから貧しい家庭に育ったが頭脳は明晰、苦労して東京商大(現・一橋大学)を出たが学徒動員に引っ張られた。戦後、復員したものの職はなく、やむなく行商人になったというワケだ。
タワシ、タバコの巻き紙、鯨の脂でつくった石鹸などを大きな唐草模様の風呂敷に包んで肩に担ぎ、地元栃木県内の農家一軒一軒を回って歩いた。農家のオバサンなどに、いかにこの石鹸の落ちがいいかなどを三百代言風に説きながら、一方で商売そっちのけでインフレ対策から税金の値切り方まで得意の数字を挙げて伝授、「インテリ行商人」としてオバサンたちの人気を集めたのであった。
やがては独学で計理士、税理士の資格まで取ってしまったという“計算”のできる男だったのである。
その後、栃木県会議員になり、河野一郎(元建設相。河野洋平元衆院議長の父)の後押しを受けて国政に転じた。河野亡き後、派閥を継いだ中曽根康弘(元首相)の元で頭角を現わし、やがて厚相、農水相、蔵相、通産相を歴任、宮澤(喜一)内閣で副総理兼外相のポストに就いたのである。その間、石原慎太郎、「ハマコー」こと浜田幸一ら暴れん坊と「自民党刷新」を掲げて『青嵐会』で徒党を組んだこともある。
その口八丁手八丁、天性の話術の“白眉”は農水相当時、栃木弁丸出しでテレビに出演、なぜ消費者米価を上げなければならないかでしょっぱなから数字を駆使、その“魔術”で国民をケムに巻いたのが好例だ。
「4.2%上げると言ったって、アンタ大したこたぁないんだナ。1日3食だから、1食1円2銭ぽっちの値上げにすぎんかンね。皆さん、1円くらい道に落っこってて拾うかい。タバコを吸う人は、七分目くらいのところで火を消して捨てるわね。アレだって、残った分は1本3円もすンだ。しかし、それをもったいながる人なんかいないわナ。根元にたまったニコチンを吸い過ぎるより、この方がいいやでポイと捨てる。それを思えば、アンタ1円2銭ぐらいの値上げ、どうってこたぁないと思うね」
行商時代の売り込みテクニックが、国政の場でしっかり生かされたのであった。
筆者はこの「ミッチー」氏に、若いころ、度々インタビューした思い出がある。彼は表記のような「数字による説得力」について、こう言っていたものである。
「キミ、人間は説得に対して、なぜ抵抗するか分かるか。その説得の利益と損失をハカリにかけ、どうも損失の方が多そうだとなるからだ。それなら、損失はあっても、いかに利益の方が大きいかを話してやればいい。しかし、大まかな話では納得しない。そこで、“数字”となる。森羅万象、世の中には何事も数値化できないものはない。その数字の説得で例え物質的な損を知っても、ナルホドと思えば人間あきらめる。結局、納得してくれるもんだよ」
真の「雄弁」は、その言葉の中にどれだけ数字での説得力を盛り込めるかにある。最強の説得力、心したい。=敬称略=
■渡辺美智雄=宮澤喜一内閣(改造内閣含む)副総理や外相(第118代)、通産相(第44代)、蔵相(第81代)、農水相(第2代)など大臣職を歴任。中曽根派を継承して派閥の領袖となり「ミッチー」の愛称でも親しまれた。
小林吉弥(こばやしきちや)
永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。