1973年、山口百恵は中学生ながら映画『としごろ』に出演し、同名曲で歌手としてもデビュー。その後、歌手として『ひと夏の経験』『横須賀ストーリー』『いい日旅立ち』などのヒット作を連発。低めのトーンからささやくような歌声は、当時多くの者を魅了した。役者としてもTBSのテレビドラマ『赤いシリーズ』の常連となった。年齢を感じさせない大人びた雰囲気、芯の強さから湧き出る魅力は写真家・篠山紀信から「時代と寝た女」とも評された。夫で俳優の三浦友和とは80年11月に結婚。21歳という若さで芸能界を引退し、以降は一度もメディアに露出しておらず伝説化している。
有吉弘行は番組の冒頭から「仕方ないよね、新聞読むのも記事作ってるのもジジィだから」と発言。マツコ・デラックスもこれに頷き、若くして引退した山口は、古い世代の記憶の中で「伝説になっちゃう」と共感を示した。
また、番組では、実際にネットなどで言われている“山口百恵の再来”として、平手友梨奈(欅坂46)、石原さとみ、上戸彩、剛力彩芽を紹介。これにマツコは「誰が言ってるんの?これ」「関係者だろ?」とピン来ない様子。ある時からスターが“身近なもの”となり、スマホで写真を撮って簡単にSNSで拡散できる時代となったことで、「よく見つけたな」と感じる芸能人が生まれにくくなったと持論を展開した。
“スターが身近になった”と言われ始めたのはいつ頃だろうか。1980年代、日本はバブル経済で景気も良く、華やかな芸能界の中でアイドルは特に輝きを放つ存在だった。しかし、90年代に入り日本の景気は下降線を辿る。J-POPが注目され始めたこともあり、アイドルは隅に追いやられてしまったと言われている。この“アイドル不遇の時代”は、90年代後半まで続いた。98年にモーニング娘。がデビューしたことで、ようやくアイドルが脚光を浴びるようになり、その後はアイドルグループが増えていった。
そして2005年、80年代にテレビ番組で誕生したアイドルグループ「おニャン子クラブ」の仕掛け人だった秋元康氏が、東京・秋葉原にアイドルグループ専用の「AKB48劇場」を設置。「会いに行けるアイドル」をコンセプトに、この場所を拠点としてライブや握手会などのイベントを行った。それまでのアイドルとは異なり、劇場に行けば会えるというAKB48の活動スタイルはファンとの距離をグッと近づけた。だからこそファンは応援するメンバーに感情移入することができ、成長過程を共有する楽しさが生まれた。スターが身近になっていった要因として、アイドルの在り方が変化した影響も大きいのではないかと推測される。ターゲットが大衆からコアなファンへと変化したのだ。
番組を見ていた視聴者のツイートを見てみると、「プライベートも何も晒すようじゃ難しい時代」「メジャーな分野だから先人の比べられるんだと思う」「伝説だから頂点的な意味合いがある 更新はされないっしょ」「皆で集ってTVを観るような文化がもうない それぞれの推しがいるだけ」と、今の時代を憂うような意見が多く見られた。
しかし、その一方で「アイドルを応援してる世代の多くが“本物のスター”を見たことがない時代だよ。昔はよかった〜本物だった〜って言ってるだけじゃん。今の若者からしたらただの昔の人」「逆にもう一般人もプロ級に可愛い子とかネットで話題になってたりする」と、今の時代だからこそのアイドル像を肯定する声もあった。
多様化が進み、スターが身近になったことで問題も多く発生している。とはいえ、いつの時代もなかなか生まれないからこそ“スター”なのだろう。