清水氏は1968年に慶応大学経済学部を卒業後、東京電力へ入社。ちなみに、清水氏の父も東電の社員であった。その後、横浜火力発電所や福島第二原発の総務などを担当した。
「福島の原発時代は地元との信頼関係を築くことに積極的だった」(全国紙経済部記者)
その後、他分野の企業に出向、この時のことを後にインタビューで、「東京電力がいかに“お役所”かということに気づいた」と語っている。
さらに資材部長時代には制服を中国製に変えて、約3億円のコスト削減に成功。費用切り詰めに成功した実績から「コストカッター」と呼ばれていた。2008年には社長へ就任する。
「東電の社長は長らく東大出身者がつとめていました。東大卒以外の社長は約50年ぶり」(全国紙経済部記者)
昨年12月に東通原子力発電所1号機の工事計画を認可された際には、「安全を最優先に発電所建設に取り組む」と語っている。
震災以降、国内ではネット上などで、「東電のトップの顔が見えない」と批判され、入院については、アメリカのワシントンポストから、「問題が起きた際に連絡が取れなくなるのは、日本の経営者や政治家によくあること」と指摘されている。原発問題や計画停電など、多くの問題を抱える東電、海外メディアからは「国有化もあるのでは」と報じられた。社長不在の中、この難局を乗り切れるのか。国民としては、何としても乗り切ってもらわなけれれば困るのだが…。