「金本体制がOBたちに支援されなかった最大の理由は、『外様体制』にあります。監督、主要コーチは外様、4番とエース、クローザーは助っ人。これでは伝統球団の誇りが全くないと…」(在阪記者)
矢野体制の誕生で、現場とOBたちによる対立が激化しそうだ。
「ゆえに最下位でも続投と思われていました」(同)
今季、Bクラスが決定したのは10月5日。同8日には最下位が確定となり、フロントの動きも慌ただしくなったが、谷本修球団副社長兼本部長は「続投」を明言して回っていた。
「続投」の理由は、それだけではない。5日には来季の一軍打撃コーチとして、西武、中日で活躍した和田一浩氏の招聘が発表され、谷本副社長は一・二軍間を奔走し、来季の配置換えについて話し合っていた。その一例が、矢野二軍監督の「ヘッドコーチ昇格案」である。谷本副社長は「(コーチは)金本監督が連れてきたから退団させることはない」とも言っていたのだ。
様子が変わってきたのは、10月10日の甲子園最終戦のことだった。試合後、金本監督が謝罪スピーチをしたその裏で、こんな喧騒が見られた。
「坂井信也オーナーも球場入りしていたんですが、ゲームセットと同時に席を立ってしまったのです」(ベテラン記者)
その坂井オーナーも後に退任を発表するのだが、同日の試合後、揚塩健治球団社長が金本監督を探していた。見つけるや、クラブハウスに駆け込み、2人きりの緊急会談が行われた。
「金本監督は11日の辞意表明会見で、辞任は最下位が決定した8日に考えたと話していますが、矛盾しているんです。10日の最終戦の勝利について『辞める、辞めないの深い意味はなかった』とか、『(去就に)頭が回らなかった』と話しています。でも、監督の性格なら、その時の謝罪スピーチのときに退団の挨拶もするはずです」(球界関係者)
実は、揚塩社長との会談翌日、つまり退団会見の直前、金本監督は各コーチに電話を入れている。「辞めることになってしまった」と。その言い方だと、「辞めさせられた」とのニュアンスにもとれる…。
「9月中旬から、球団に金本批判の抗議電話が殺到していました。某幹部によれば、公表していない重役の直通電話にまで掛かってきて、それには相当参っていると話していました」(前出・ベテラン記者)
インターネットの影響も大きかった。9月28日から名古屋遠征を戦った際、金本監督は宿舎ホテルに帰るところでファンから罵倒されている。「辞めろ!」の容赦ない野次にカチンと来たのだろう。同伴したコーチが金本監督を羽交い締めにして、ホテルに連れ込んだ。その映像がネット上で拡散され、フロント、本社幹部も確認したという。
「アレはマズイと頭を抱えていました。チームが低迷しているのだから、外出も自重してほしいと」(同)
批判が手厳しいのも、伝統球団の宿命だ。
「一部幹部は有力OBにも相談していました」(球団関係者)
大半のOBは金本体制に批判的だ。打線は糸井嘉男、福留孝介、投手陣はメッセンジャー、ドリスと、チームの中核は“外部補強頼み”のまま。この点はライバル巨人とも比較されていた。
「糸原健斗、中谷将大、陽川尚将、小野泰己、才木浩人などの若手が伸びてきましたが、巨人とは意味が違う。巨人も世代交代に苦しんでいるものの、岡本和真という4番を育てた。中核を担う若手を成長させたのは大きい」(同)
最大OB派閥とされる吉田義男氏のグループは、岡田彰布氏を推していた。監督人事で揺れる度に有力OBに意見を仰ぐのも“阪神の伝統”である。
「岡田氏の解説は辛口ですが、的確です。ひと言多いので敵も多いですが、指導内容、指示はブレない。巨人同様、年長者に再建を託し、次に若い監督を呼ぶ意見も分かりますが」(前出・ベテラン記者)
13日、揚塩社長が宮崎に飛んだ。フェニックスリーグを戦う矢野二軍監督に会うためで、同日午後7時すぎから約1時間半にわたり直接会談が行われた。
「12月に金本氏の殿堂入りを祝うパーティーがあり、発起人の1人に坂井前オーナーも名を連ねています。ただ、招待状の郵送が遅れていたんです。金本監督、坂井氏の肩書きをどうするかで印刷を止めていたんでしょう」(消息筋)
OBたちは矢野体制になっても応援はするが、一定の距離を置くはず。生え抜きの中核野手は鳥谷敬以降、出ていない。最下位の責任はフロントにもある。新監督は古株OBも気にしながらの采配となる。