1月25日に行われた日本相撲協会からの使者を迎えての伝達式も、部屋が狭いということで帝国ホテルに会場を移して行われ、詰めかけた報道陣も150人以上。若貴フィーバー以来の盛り上がり。
その一挙手一投足に熱い視線が集まった稀勢の里とは対照的に、影が薄かったのが師匠の田子ノ浦親方(40)だ。
使者を迎えての伝達式では、稀勢の里の隣でカメラに一応収まりはしたものの、その後の記者会見などではほとんど発言することもなく、存在感ゼロ。
「それも仕方ありません。現師匠は、稀勢の里を育てた先代師匠(元横綱隆の里)が6年前に急逝したため、急遽、祭り上げられたも同然ですから。現役時代の最高位は前頭8枚目。幕内在位も5場所だけ。相撲部屋には師匠がいなくちゃいけませんから、ただそのためだけにいるようなもので、これまでもアドバイスしたりすることはまったくありませんでした。稀勢の里も、師匠とは思っていないんじゃないですか」(担当記者)
もう一つ、晴れの場面で姿を見せなかった人たちがいる。稀勢の里が今でも「心の師匠」と呼び、昇進会見で、「あの人と出会わなかったら今の自分はない。感謝以外にない」と話した、先代師匠のファミリーだ。
田子ノ浦親方と先代師匠ファミリーとは折り合いが悪く、先代師匠が亡くなった翌年の2月、「鳴戸」の名跡を返上して「田子ノ浦」を取得し、弟子たちを連れて千葉県松戸市にあった部屋を飛び出して以来、絶縁状態が続いているのだ。
「横綱になった稀勢の里が土俵入りに使用した化粧まわしは、元横綱初代若乃花が持っていた鬼のデザインの化粧まわし。この社会では、こういうときには先代師匠が使っていたものを借りるのが普通です。遺族も親族と同じ思いのはずなんですが、いまだに会話もできないぐらい、こじれてしまっているのでしょう」(大相撲関係者)
横綱ともなれば、これまでより責任は段違いに重く、大事な決断をしなければいけない場面も増えてくる。しかし、稀勢の里に仲のいい力士仲間はいないし、師匠も、先代師匠ファミリーも、頼りにはならない。まさに“内憂外患”だ。
相撲は心・技・体と言われる。その“心”の曇天をスッキリさせたいのが稀勢の里の本心だろう。
孤独とも思える稀勢の里だが、部屋の稽古始めは2月に入って「(まわしを)明日つけてもいいし、今でもいいし」と語り、実際に1日には稽古に入っている。「お祝いムードは昨日まで」と3月の大阪場所に向けて標準を合わせている。“内憂外患”孤高の新横綱は果たしてモンゴル3横綱にくさびを打ち込むことができるか。