「今回の公演は興行ではなく、金正恩自身の威勢を中国の習近平国家主席に見せつけるために100人もの大公演団を派遣した国家事業です。モランボン楽団と功勲国家合唱団は、それぞれ軽音楽と合唱というジャンルを担うはずでした。楽団メンバーの約20人は、いずれも容姿端麗ですが“喜び組”と違い芸術大出身のエリート。ポップスやロックも歌えば弦楽器なども弾く芸術家集団です。とはいえ、お色気も満載で、2012年7月に平壌で行われたデビュー公演では、ボディーラインがくっきりと分かるドレスや美脚をあらわにするミニスカート、高さ10センチのハイヒールで登場して新時代の到来をアピールしました」(北朝鮮ウオッチャー)
習主席は就任後、一度も金第一書記と会っていない。その一方で、これ見よがしに韓国の朴槿恵大統領とは5回ほど会談している。そんな正恩嫌いの習主席が、なぜこれまでの慣例を破る対北外交政策に転じたのか。
「中国側は公演に先立ち、ネット上に流れる金第一書記を小バカにした書き込みなどにNGワードを設定しています。北側も親中派のドンだった張成沢(チャン・ソンテク)の粛清で本格的に冷え切った中朝関係を改善する絶好の機会と意気込んでいました。国営の朝鮮中央通信が海外メディアの紹介記事などを引用し、『世界も注目するおしゃれな楽団が真っ先に中国に行く』と大々的に宣伝していたほどです。第一書記も楽団の公演成功を足掛かりに、自身初の中国外遊を見据えてもいました。その上で、来年5月に開かれる朝鮮労働党第7回大会に、習主席を招請する計画を進める予定だったのです」(日本在住の中国人ライター)
ところが今回のドタキャンで、両国は以前にも増して高い緊張状態に入った。香港の人権団体『中国人権民主化運動ニュースセンター』は13日、中朝国境地帯の中国軍警備部隊が2000人増員されたと報じた。
公演を一方的にキャンセルされたことに怒り狂った金第一書記が「暴発するのでは」と習主席一派が恐れたからだという。
中国の癪に障る騒動ばかりを起こしてきた金第一書記について、江沢民(元国家主席)派は“頭なでなで路線”、習近平政権は“無視”と、真逆の姿勢で臨んできた。中国共産党中央対外連絡部の公式サイトなどの発表を見ると、今回楽団を招聘したのは、10月初めに朝鮮労働党創建70周年記念式典に出席した党序列5位の劉雲山(リュウ・ユンシャン)中国共産党政治局常務委員だ。
「劉雲山は最高指導部中枢にいる江沢民派で、今回の公演は北側と協議し彼が決めたものであり、習派は直接的には関与していません。劉雲山側から手を差し伸べる形で、金第一書記は関係修復のきっかけをつかんだのです。ところが、こうした江派の何らかの意図、工作を知った習派が、楽団の公演内容にイチャモンを付け公演中止に追いやったのでは、という見方もなされています」(反体制中国人ジャーナリスト)
韓国・聯合ニュースが13日、中国政府消息筋の話として報じたものでは、金第一書記の「水爆保有発言」に中国側が不快感を示し、公演を観覧する幹部を党政治局員から次官級に格下げし、これに激怒した北側がドタキャンという“報復”に出たとする見解や、金日成、正日、正恩三代への過度な礼賛に嫌気が差したことなどを挙げている。
「その2つの理由はどうでしょう。実験をした形跡もないのに水爆保持を表明したとしても誰も信じません。米国は『あり得ない』と無視していますし、中国だって幼稚園レベルの話に怒る気も起きないでしょう。またモランボン楽団に限らず、北朝鮮の文化芸術は、正恩の偶像化が目的であることなど中国側も公演前から分かっていることです」(同)
中国国営新華社通信は公演中止の理由について「実務レベルのコミュニケーションで行き違いがあった」と解説しているが、楽団の海外初公演は、中朝両国の関係改善といった政治的な目的が前提となっているだけに、それを実務レベルの意見対立から中止するとは思えない。国家的な事業である楽団の場合、特に考えにくい。
実は中国反体制派メディアでは「2人の楽団員が亡命し、これに激怒した金第一書記が帰国させた」という説がある。むしろこの方が納得できる。正恩時代に入って幹部への粛清は激しさを増しており、今年3月には、夫人の李雪主がかつて所属していた銀河水管弦楽団の芸術関係者が、韓国人スパイと関係を持った容疑を掛かられ、公開銃殺された。過去には、やはり芸術団員が“ポルノ出演疑惑”に巻き込まれ処刑された例もある。楽団は金第一書記が結成しただけに、楽団員の中にも“粛清”の二文字がよぎって当然だ。北京公演をチャンスとばかりに亡命する楽団員が出ても何ら不思議はない。
ドタキャンの理由が中朝いずれにあったにせよ、両国の関係が瓦解したことだけは間違いない。身の程知らずな暴君、金正恩のことだ。今ごろ「習近平を“粛清”してやる。中国とは国交断絶だ!」と怒鳴り散らしていることだろう。