新美術館の計画がスタートしたのは、なんと今から30年以上前の1983年。大阪市制100周年記念事業、中之島ミュージアムアイランド構想のシンボルとして構想され、市が国から建設用地として、中之島に1万6000平方メートルを約160億円で購入し、合わせて収蔵品の収集を開始。順調に進めば2004年にはオープンするはずだった。
「ところが、その後の財政難で頓挫、さらには橋下徹市長時代の文化行政論争にも巻き込まれ、一時は取りやめの声すら出た。しかし、すでに多額の金を投じているため、おいそれと中止するわけにもいかず、計画だけがかろうじて生き残っている状態だったのです」(地元記者)
中之島の建設予定地は、周囲の再開発計画が順調に進む中、ペンペン草が生えポッカリと空いた状態。その一方で、展示予定品は、大阪を代表する天才画家・佐伯祐三氏のコレクションや、モディリアーニの『髪をほどいた横たわる裸婦』など、国内の美術館でもトップクラスの名品約4900点がすでに揃っている。
新美術館実現には、民間参加による運営体制の策定など、その他にも問題が多い。そんなお荷物状態の計画が急転、ゴーサインとなったのはどういうわけか。
あるベテランの大阪市議会議員がこう語る。
「橋下さんがイメージ付けした文化行政に対する批判的な色を薄めたいという、おおさか維新の会の考えでしょう。吉村さんの意地でもある。ポスト橋下の担い手として登場した吉村さんですが、あの人自身、ああ見えて自己主張が強い。橋下さんとは違うところを見せたい、という気持ちもあり旗振りをしたのでは」
今回こそはすんなり実現となるか?