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桂歌蔵の芸人バカ一代 丸山おさむ編

 今回、登場するのはモノマネの丸山おさむ。3オクターブの声域、知的でウィットに富んだ笑いをモノマネに取り入れ、文化人、評論家にファンが多い。1997年には「歌まねでつづる戦後歌謡史」で文化庁芸術祭優秀賞を受賞。そんな丸山に語ってもらった。

 −−丸山さんが芸人になったきっかけは?
 「最初は高校を卒業して家電メーカーに就職してたんだ。独身寮でね、2人相部屋だったんだけど、先輩が意地の悪い人だった」

 −−それが何で芸人になるきっかけに?(笑)
 「その寮を出たかったんだね。そのころ、20歳前後で、それまでおれは中学高校時代、人前で芸を披露したことなかったんだよね」

 −−それで、いきなり芸人に!?
 「そう。当時、テレビで『ぎんざナウ』とか『ヤングOH!OH!』とか素人が参加する番組を食堂のテレビで見てたんだ。相部屋のテレビは先輩で見れなかったから(笑)。で、同期のやつと番組を見ながら話をしてたら、そいつが勝手におれの名前で応募したんだ。そいつが言うにはお前が出れば公開放送を生で見に行けるってね(笑)。おれも負けず嫌いだから番組でどんな芸をやろうか、いろいろ考えた。芸能人の野球大会とかね。ピッチャー、キャッチャー、解説者は誰々、とね」

 −−そのモノマネでコンテストを勝ち抜いたんですよね?
 「『ぎんざナウ』は4週勝ち抜いて、『ヤングOH!OH!』はチャンピオンになった。前年度のチャンピオンはオール阪神巨人」

 −−それでプロになる自信がついた?
 「いやいや、もう工場での仕事はやめて寮を出てたけど、まだまだだったね。当時、公開番組の前説をやらせてもらえることになったんだけど、1回のギャラが源泉引かれて4500円。月に1万8000円の収入だけ(笑)」

 −−確かにそれじゃ食えないですね(笑)。
 「けど10年間、そのテレビ番組の前説仕事をやらせてもらったけど、現場で鍛えられたね。当時は歌番組はフルバンドでね。歌手もマネージャーもリハーサルに来ないで本番ギリギリにスタジオ入りするから、こっちがバンドに合わせてリハをやんなきゃいけなかった。しかも、その歌手のキーで曲を歌わなくちゃいけない」

 −−その仕事が、丸山さんの基礎を作った下積み時代だったんですね。
 「そうだね。それにいろんな歌手を身近に見られて勉強になったね。美空ひばりさんがすごかった。プロデューサー的な人だった」

 −−というと?
 「自分のバンドを連れてくるでしょ。で、番組にはレギュラーのハコバンもいるわけだし、合同でバックを務めるわけだから」

 −−そりゃ周りは緊張しますよね。
 「軽いダメ出しにも緊張するよね。そうなると照明もカメラも気合いが入ってくるわけだし、ひばりさんはスタッフの士気を上げる力があった。そのころ、寄席にも行ったしキャバレーやナイトクラブのフロアーショーを見に行ってた。今の綾小路きみまろさんも出てた。客やホステスをいじっててね、うまいいじり方をするんだ、これが」

 −−前説以外の仕事は始めてました?
 「昔はパッケージショーと言って、1人の歌手が司会や漫才、マジシャンと何人も連れてショーをやってたころでね。そのメンバーに入れてもらってた。当時のカラオケは、歌手が歌ってたレコードのオケをそのまま使ってたんだ。だから、そのころマネしていたトシちゃんやマッチのマネージャーに頼んでカラオケをもらったりした。これは今のものまねの若手に言いたいんだけど、歌手と同じキーじゃないと絶対似ないんだよね。今は安易にキーを変えてモノマネをしたりしてるけど、それはモノマネとは言えないと思うよ」

 −−さまざまな体験や研究が実って、丸山さんは何年か前に芸術祭賞を獲りましたね。
 「11年前かな。『戦後歌謡史』、あれは寄席で作ったネタだよね。アカペラで歌っていくスタイルでね。けど、今でもどんどん内容は変えていってるよ」

 −−ノスタルジックなネタですけど、時事ネタを取り入れて進化させているわけですね。丸山さんの芸風と芸に対する考えは独特ですもんね。
 「“真似の真似でないこそ本当の真似”。これサイン求められた時に書く言葉なんだけど(笑)。確かに僕の芸は落語の話術の要素もパントマイムも歌も入っている。総合的な笑いを目指している。けど結局は面白くないとダメなんだけどね」

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