桐山部屋は幕内力士1人(前頭・徳瀬川)を抱えていたが、力士は総勢5人で(1人は1月場所後に引退)、力士不足に悩まされ、「満足に稽古ができない。雑用にも追われる。いい稽古をして、強い力士を育てるため」(桐山親方)との苦渋の決断だった。
相撲部屋の閉鎖は決して珍しくはない。昨年5月には一般では入手できない維持員席で暴力団幹部が観戦していた問題で、整理券の確保に当たったとして木瀬親方(元前頭・肥後ノ海)が処分を受け、木瀬部屋は閉鎖に追い込まれた。また、師匠の定年に当たり、部屋を閉鎖し、他の部屋と合併するケースも多い。02年7月には元前頭・大雄の甲山部屋が、04年3月には元関脇・黒姫山の武隈部屋が力士が1人もいなくなり、閉鎖を余儀なくされた。だが、「力士が少ないから」という理由で部屋を閉めるケースは異例だ。
相撲部屋は30年ほど前までは、常に30程度で推移していた。しかし、次々に部屋付き親方が独立して新たな部屋を興すケースが増えて、94年には50を突破し、現在に至っている。
日本の若者からハングリー精神がなくなり、相撲で身を立てようという青年はめっきり減った。さらに、近年の不祥事続きで新弟子志願者は激減。人気がない部屋は慢性的な力士不足に悩まされている。これはもう、部屋数激増の弊害というほかない。
桐山部屋の力士を引き受けることになった、朝日山部屋とて同じようなもの。関取はおらず、幕下以下の力士が8人いただけ。桐山勢の受け入れで、関取ができ総勢12人。これで、ようやく、まともな部屋運営ができるようになるだろう。
日本相撲協会の改革を目的に設置された第三者機関「ガバナンス(統治)の整備に関する独立委員会」が昨年暮れに開かれ、部屋数を30前後に絞るべきとの提言が出された。だが、部屋の建物は通常は部屋持ち親方個人の所有であり、「閉鎖しろ」と言われても、そう簡単にはいかない背景もある。
現状の相撲界はプロ野球やJリーグのように、プロ入り志願者がたくさんいるわけではない。健全な部屋の運営、稽古・土俵の充実を考えると、部屋数縮小化は正論。拙速にはことは運べないが、その方向で進めるのが賢明であろう。そうしなければ、“第2の桐山部屋”は今後も出てきかねない。
(ジャーナリスト/落合一郎)