山本は生まれつき二分脊椎症という下肢障がいがあり、幼少期に母に言われて、自分と他人との違いを認識したという。その後、カナダへの留学を経て、日本財団パラリンピックサポートセンターに入ったことをきっかけに、パワーリフトリングと出会い、パラリンピックの選手として活躍していくこととなる。
>>全ての画像を見る<<
山本はそんな人生経験を明かしつつ、「違いで生き抜くヒント」と題し、自分の人生の中で培った「違いを認識する」、「違いを強みに変える」、「個人の違いを集団へ」という3つの生きるノウハウを講演の中で披露。日本の社会は「他人と同じことを求められがちな社会」であり、「同じであることも日本人的には強調や和やハーモニーという意味合いで大切にされる」といい、その上で、自分自身が「違いは弱みだ」と感じていたという過去を紹介。
だが、カナダの大学院に進学し、そこで論文について議論し合う中、友人から「車椅子で、パラに取り組む恵理の意見は何よりも強みだ」とその意見の違いを逆に褒められるなど、背中を押されたことをきっかけに、「違いを強みに変えること」が有効であると気づいたとのこと。職員としてパラリンピックサポートセンターに入った後は、パワーリフティングと職員の仕事を両立したというが、「同じ職員と同じ仕事をこなせていないことが悩み」だったとのこと。「どうしたらこの集団で価値が上がるかをずっと考えていた。その時に巡り会えたのが講演の仕事だった」と山本は言う。
「とっても人見知りで、人前で話すのは考えられないようなことだったけど、パラの魅力を伝えること、障がい者の気持ちを伝えること、目の前の人を変えたい、そんな思いからスピーチトレーニングを受け、伝え方を覚えたら、どんどん楽しくなった。今は講演のたびに違うスイッチが入るようになった」と新しい環境を見つけることで違いを強みに変えることに成功したという。
山本は「強みを生かせていないなら、周りの状況や時間が自分と合っていないのかもしれない。それを考えて行動してみるのもいいかもしれません。周りの状況を変えて自分の違いを強みに変えて欲しい」と訴える。「違いが強みに変わったら、個から集団に目線を変えて欲しい。違いは必ず社会にイノベーションをもたらします。個人の力を信じて欲しい。自分の力を生かせる環境を見つけて欲しい」と呼びかける。
講演を終えると、視聴者の質問コーナーにも丁寧に対応。「元気の源」を問われると、「焼肉です」と笑顔を見せる。また、「緊張しない方法」を問われると、「緊張はしてしまいます。緊張している自分を認めることが大切」とアドバイス。「失敗した時に元気を出す方法」についても、「人と話すこと。自分一人でどうしようもない時は人に頼ることも大切かなって思います」と持論を述べていた。
(取材・文:名鹿祥史)