幸せの絶頂にいる有吉だが、彼が苦労人なのはよく知られている。特に、『進め! 電波少年』(日本テレビ系)で成し遂げた「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」を受けての猿岩石ブームが去った2000年頃から、「毒舌あだ名芸」でブレークを果たす2007年あたりまでの約7年間は、ほとんど仕事のない暗黒時代と言われる。
この当時、有吉の唯一の一日の予定は「午後4時の事務所への電話」だった。有吉の事務所には、タレント自らが翌日のスケジュールを電話で確認する習わしがあった。当然ながら仕事はなく、その後はスーパーに見切り品を買いに行き、食いつなぐ生活を送っていた。全盛期の貯金があったため、バイトはせずに済んだが、その分、鬱々とした日々を過ごし、自殺も考えるほどだったという。
ただ、そうした中でも僅かに仕事はあった。貴重な全国区の仕事が「内P」こと『内村プロデュース』(テレビ朝日系)だ。この番組で有吉は「猫男爵」のキャラで活躍。2004年の猿岩石解散後も出演を続けた。
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有吉は2007年に出演した『アメトーーク!』(同)で、品川庄司の品川祐に付けたあだ名「おしゃべりクソ野郎」がよく知られているが、再ブレークの一番最初のきっかけは「内P」とも言えるだろう。若手芸人にさまざまなチャンスを与える「内P」は『有吉の壁』(日本テレビ系)とコンセプトが類似しており、「有吉の恩返し」ではないかと見る声もある。
さらに有吉は、先を読む力に長けている。猿岩石時代の末期に、仕事が給料制から歩合制に変えられたのを見て、仕事が無くなるのを見越し貯金を意識していたという。
夏目アナとも週刊誌のスキャンダル報道をかわしながら、熱愛を育んでいたことからわかるように、一見、適当に見えながらも実はしっかりしているのが有吉の特徴なのだろう。