ベイスターズからFA移籍し、人的補償が生じたケースは上記を含め3件あり、くしくも全てがジャイアンツとの間で成立している。過去2ケースを振り返りたい。
まずは2006年オフ、チーム最多の10勝を挙げた門倉健との交渉が決裂し、ジャイアンツへFA移籍。高齢、高年俸が理由でリストから外れていた工藤公康を獲得した。2007年、工藤は7勝6敗、防御率3.91で、23年連続勝利の記録もマークしチームに貢献。しかし翌年は未勝利、2009年はリリーフに回り46試合に登板し2勝3敗。この年でチームを去った。暗黒時代に“ハマのおじさん”として話題も集めたことも含め、見えない部分でも貢献度の高い選手だった。結果門倉はジャイアンツの2年間で1勝だっただけに、ベイスターズにとってはいいケースだった。
2011年オフにはチームの顔だった村田修一がジャイアンツへ移籍し、ベテラン左腕・藤井秀悟を獲得。2012年は6連勝を含む7勝を挙げ活躍し、翌年には開幕投手も務めた。最終的に6勝5敗の成績だったが、2014年には公式戦出場ゼロで現役引退となった。対する村田はジャイアンツでも活躍したが、藤井は現在、球団広報兼バッティングピッチャーというまれな立場として裏からチームを支える存在にとなっているだけに、損得では語れないケースとも言えそうだ。
時に残酷ともとれる人的補償での移籍。この3件ともベイスターズは所属選手がFA宣言したケースでマイナスイメージが先行するが、うまい人選で編成上でも金銭面でも、全く悪くないチョイスをしているといえるか。
親会社がDeNAに代わり「横浜を出る喜び」とやゆされることもなくなってきた昨今、理想とされる生え抜き中心のチーム作りができてきた。ただ少し前まで、FAの草刈り場だったこともあるのも事実なのだ。
写真・取材・文 / 萩原孝弘