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『24時間テレビ』の転換点となった1992年 定番企画、名曲が生まれたのもこの年

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ダウンタウン・松本人志、浜田雅功

 夏の恒例番組『24時間テレビ:愛は地球を救う』(日本テレビ系)が、8月22日から23日にかけて放送される。今年は新型コロナウイルスの蔓延により開催が危ぶまれていたが、無観客で行われる。V6の井ノ原快彦のほか、NEWSの増田貴久など、ジャニーズタレント5人が力を合わせる内容となる。

 ​>>『24時間テレビ』嵐がまさかの出演無しで、紅白はどうなる? イレギュラーな形での司会となるか<<​​​

 『24時間テレビ』と言えば、ジャニーズタレントによるパーソナリティー、深夜帯のバラエティー色の強い内容、さらにチャリティーマラソンといったコンテンツがおなじみとなっている。だが当初は、地味なチャリティー番組であり、視聴率も低かった。それが現在のスタイルに変わったのが、1992年の第15回放送だ。

 番組パーソナリティーを務めたのは、若手芸人として勢いのあったダウンタウン。毒気のある彼らを、あえてチャリティー番組に起用したのは英断だった。
 「24時間テレビ」の恒例行事となっているチャリティーマラソンは、この年からスタートした。ランナーを務めたのは間寛平で、驚異の200キロに挑戦するが、153キロ時点でリタイヤする。事前にコースを公開していたため、沿道に人が集まりすぎて中止となった。以降、コースは非公開となる。

 さらに、この回は放送時間内に名曲「サライ」を作るプロジェクトも行われた。視聴者から寄せられた愛のメッセージを元に谷村新司が作詞を取りまとめ、加山雄三がギターで作曲を行った(筆名は弾厚作)。

 壮大なエンターテインメントショーを演出したのは、人気番組を次々と生み出し「視聴率男」と言われる五味一男氏だった。五味氏は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『マジカル頭脳パワー!!』などを手がける新進気鋭の演出家であり、1997年まで総合演出を手がけ、1995年には初のジャニーズパーソナリティーとして、SMAPを起用している。

 現在の「24時間テレビ」のフォーマットはすべて、1992年から始まったのだ。

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